「インドネシアのヤギたち(2)」(2021年08月30日) ヤギの飼育は最初、オスメス一対のヤギを購入して始まる。その後は飼料の購入をしない のだから、出費はない。ヤギ小屋を建てる必要が起こったときに、また出費が必要になる くらいだ。 一方、生後6か月を過ぎれば子ヤギは販売対象になるので、換金性が高い。価格はあまり 変動せず安定しているが、イドゥルアドハのような需要期には値上がりする。ハイシーズ ンの小売価格は一頭で2〜4百万ルピアの売値が付く。供給者側はひと月前から動きを開 始し、飼育農家はその時期に7〜10頭を売り渡して2〜2.5千万ルピアの売上を手に 入れる。 ヨグヤカルタ特別州でもヤギが農民の友であるのは変わらない。元々は乳牛の飼育が盛ん だったこの地方で、農家の財形がヤギにまで広がって行ったということのようだ。この地 方にはPEと呼ばれる種のヤギが多い。 PEとはperanakan etawaの頭字語で、プラナカンとは外国種と地元種の間にできた子供 とその子孫を意味しており、インドネシア語の中で人間についても使われている。エタワ とはインドから渡来した種であり、それと豆ヤギが交配されてPEが形成された。 エタワ種は身体が大きく、耳が長く垂れ、角は短く、額と鼻が盛り上がっている。オスは 体高127センチ体重91キロに達するが、メスは92センチ63キロ程度が最大だ。ミ ルクが一日に3リッターも採れるので、人気が高い。PEはエタワ種に似て身体が大きく なる。違いは毛色が二色になるのが大きい特徴だ。 エタワ種がインドネシアに導入されたのは19世紀で、オランダ人が乳ヤギとして輸入し た。その後インドネシア人が肉ヤギとしての扱いの比重を増やしたために、現在は肉と乳 の二本立てになっている。そう書くと、オランダ人はエタワヤギの肉を食べなかったと考 えるひとが出現しそうだから、オランダ人も乳ヤギの働きができなくなった者の肉を食っ たと付け加えておこう。 ところがエタワ種は食肉にできる部分が30%しかなく、インドネシア人が昔行ったエタ ワ種の肉ヤギオリエンテーションは効率の劣る方針だったと現代インドネシア人専門家は 批評している。 ムラピ山南麓を占めているスレマン県が海抜の高い土地であるため、気温の低い方がPE の飼育に適していると考えられて、最初はスレマン県が推薦されていたが、州南海岸部の クロンプロゴ県やグヌンキドゥル県でもPEの飼育は問題なく進展していて、クロンプロ ゴで州内一番という優良ヤギが登場しており、その子種が東ジャワ州に供給されるような 状況になっている。高地の方がよいというセオリーは既に神話の世界に入ったようだ。 州内のPE種の普及は学術界と行政のプロモートで動き出した。スレマン県チャンディビ ナグン村はガジャマダ大学に支援されて1999年からPEを15頭飼育し始めた。とこ ろが一年後にムラピ山の噴火が起こり、住民がすべて避難して数カ月間のキャンプ生活を 送ったために家畜は全滅した。 しかし農民たちは既に得た一年間の体験から、ヤギ飼育のメリットを高く評価したのであ る。かれらは機会があると、ヤギが欲しいと行政に陳情した。2012年になって、県庁 はメスヤギ40頭とオスヤギ5頭を村への援助として与えた。4年間でヤギは2百頭近く まで増加している。[ 続く ]