「ウシ ウシ ウシ(4)」(2021年09月09日)

マドゥラのカラパンサピで疾走するランナーはオス牛だ。一方のメス牛にはメスのための
コンテストがある。sapi sono(あるいはsonok)と呼ばれているそのコンテストはなんと、
メス牛のビューティコンテストなのである。人間が美牛を評価してだれがもっとも美しい
かを決めるのだ。もしもオス牛に評価させたら、果たして同じ結果になるだろうか。

1960年代から行われるようになったこの美牛コンテストは、種の改良の一環として始
められた。オスは健康で強い者が優秀、メスは美しい者が優秀で、優秀者同士を交配させ
ることで子孫は優れた者ばかりになる、という発想に根ざしているように思われる。

オスは二頭がくびきで繋がれてトラックを疾走するのと同じように、メスも二頭が美しく
飾り立てられたくびきにつながれ、美しい布を首に巻き、広場をキャットウオークさなが
らにゆらゆらと優美に歩くのである。

大会が始まると、まずマドゥラの伝統音楽隊サロネンsaronenが演奏を開始する。クノン
奏者三人、クンダンひとり、ゴンひとり、トゥロンペッひとり、ケチェルふたりから成る
サロネンが賑やかに音楽を奏で、コンテスト参加者、つまり美牛を操作するジョッキーの
全員が会場の広場で踊り始め、踊りながら自慢の美牛を連れて会場をひとめぐりする。

数十対にのぼる美牛のお披露目が終わると、いよいよ審査会が始まる。三人の審査員が着
席し、三対の美牛が審査員席の前に組み立てられてあるガプラgapura(大門)に向かって
音楽に合わせながらゆらゆらと歩を進める。

美牛のカップルが先頭を進み、カップルのそれぞれに付けた7メートルの紐を左右の手に
持ったジョッキーが踊りながら牛を操作しつつ後に従い、その後ろをサロネン楽隊が華や
かにお囃子音楽を奏でながら付き従う。美牛も音楽に合わせて足取りゆらゆらと、まるで
リズムに合わせて揺れるか踊るかというように進む。そして最終的に仮設ガプラに達する
と、ガプラの下枠の木の上に前脚をそろえて置き、行儀よく直立不動の姿勢で審査員の評
価が終わるのを待たなければならない。前脚を動かしたり、身体を揺らしたりといった落
ち着きのない姿を見せれば減点される。

審査員はその間の姿態・動作・雰囲気などから牛の健康度合いや従順さ、頭の良さなどを
見極めるのだろう。優れたサピソノの姿については、背こぶが大きく、胸郭が広く、尾が
黒く、胴が長いのが美しいと言われている。


サピソノで優勝すれば、美牛に四輪自動車並みの値が付く。美牛をそのようなお宝に変身
させるために、飼い主はメス牛を子供のころから特別扱いして育て上げる。なにしろ生後
三カ月から美しく直立させる訓練が開始されるのである。15時から18時まで特別に用
意された繋ぎ場所に置かれる毎日を送り、姿勢の良い、たいへん優美に見える姿に作り上
げられる。肌の健康を増進させるために、二日に一度水浴し、住まいも常に清潔な状態が
保たれて、美しい肌を損なうことが起こらないように気配りされる。

健康維持のために食べ物も特別の配慮がなされる。トウモロコシ粉・ヤシ砂糖・バワン・
ワケギ・タマリンド・ヤシ果肉・卵を混ぜて作ったジャムゥが月に一度与えられ、25個
の卵黄と牛乳を混ぜたものが半月ごとに与えられる。

何頭も自分の牛を美の女王にしたてあげた経験を持つ、地区サピソノ連絡会役員のひとり
はこう語っている。「幼いころからかれらを育てて、5回優勝しました。優勝した牛たち
はわたしの妻のようなものですよ。そんな成果を出すためにかけた費用と優勝の賞品とは
まるでつり合いが取れません。しかしこれは誇りの問題なのです。」


サピソノ催事の元になったのは、昔から行われていた飼育者間での品評会だった、と郷土
史家のひとりは述べている。マドゥラは稲作農耕社会であり、牛が住民の生活からいなく
なることがなかった。住民たちは寄り集まって自分の牛を見せ合い、優れた牛の種を融通
し合うことを行ってきた。それが県、そして島の規模に拡大したのが現在のサピソノなの
だそうだ。

今から十年ほど前、生後4カ月の仔牛は一頭4百万ルピアだったがサピソノの子供は3千
万ルピアで売れた。優勝経験を持つ大人のサピソノは1.25億ルピアの値が付いた。サ
ピソノ飼育は一種の社会的マネーゲームの趣を感じさせるものではあるまいか。[ 続く ]