「ウシ ウシ ウシ(13)」(2021年09月22日)

それは水牛たちの食糧欠乏を意味することになる。かれらは水面上に姿を見せている樹木
の葉や皮を食べるが、たくさんいる水牛の食欲を満たしてやれるだけの量はない。そして
悲劇的な結末が、つまりかれらに餓死がやってくるのである。

そんな事態が訪れると、飼育者は水牛をもっと遠く離れた、水位の低い場所へ連れて行く。
パンガン湖の水深は1〜1.5メートル、パンガン湖に水をもたらし、また運び去るパミ
ンギル川の水深は3メートル。ジャワ島なら、洪水が起こっても数日間で水が引くのだが、
カリマンタンの湿地帯は2カ月半ほど高い水位が続き、やっと引き始めても元の水位に戻
るまでに2カ月半かかる。高い水位が乾季の中まで食い込んでいくことも稀でない。


パンガン湖地方にいる水牛kerbau rawaは南カリマンタンの原生種と見られている。パン
ガン湖周辺には七つの村があって、皆お互いに近い距離にある。その総面積6.1万Haの
地方に地元民がクルバウラワと呼ぶ水牛が太古の時代から棲みついていた。総面積6.1
万Haとは言っても、その4.1万Haがパンガン湖とその周辺に広がる湿地帯なのだ。

地元民が呼んでいるクルバウラワの「ラワ」は形容詞として使われていて、ハビタットが
湿地であることを意味している。かれらは水牛をハビタットに応じて陸水牛kerbau darat
や川水牛kerbau sungaiなどに区分して言葉を使っている。

パンガン湖地方のクルバウラワは他の場所にいる陸水牛や川水牛と外見的にたいした違い
がない。泥の中で暮らすことが多いので、皮膚の色が他の水牛ほど黒くなくて茶色がかっ
ており、また角が陸や川の水牛より長目で湾曲しているくらいが特徴だろう。身体はがっ
しりと頑丈で、筋骨たくましく、みんなよく肥っている。

この一帯には7千頭近いクルバウラワがいると推定されている。しかし住民の中には、ま
だ人間の手から免れている野生水牛がもっとたくさんいる、と確信を持って語る者もいる。
どうしてこの地方にだけ南カリマンタン原生のクルバウラワが昔から棲みついていたのか
は謎だ。


七つの村の2百家庭ほどがクルバウラワを飼っている。多い家は100から150頭にも
達する。たいていの家庭に語り継がれている話では、6〜7代前の先祖が野生水牛を飼い
ならしはじめたのだそうだ。

野生水牛を飼おうとする村人の間では、「オレが見つけた水牛はオレの物」原理が執られ
たそうだ。持ち主は売上金分配方式で水牛を世話人に委託した。世話人はたいてい親族の
若者がなったが、別の村人に委託するケースもあった。委託は無給であり、飼育に関する
報酬など存在せず、生まれた子供が売れたり、あるいは当の水牛が売れた時に手に入った
金がシェアされた。

水牛の世話もたいへん簡単で費用のかからないものだった。世話人は水牛の日常行動エリ
アの中に檻を作り、日中はその辺りに放しておくだけ。檻は水牛が夜帰って来て寝るため
の場所でしかない。それを習慣付けるために世話人は、夜間、水牛が入った檻に施錠し、
早朝開錠して餌場に連れて行く。夕方になると餌場にやってきて、水牛を檻に連れ帰り、
施錠する。夜に施錠するのは、逃走を防ぐのが主な目的だ。

そんな経験を十数年積んだ世話人はまさに牧童であり、世話する水牛が数十頭になろうと
も、かれの命令一下、水牛の群れは従順にその指図に従うのである。たとえ檻に50頭入
っていても、牧童が手を挙げて合図をすれば、水牛たちはゾロゾロと水に入って行って泳
ぎ出すのだ。

もちろん、そんな関係が築かれるまでに、世話人は水牛と仲良くなることに努める。水牛
が泥浴びをするときに、世話人も一緒に泥を浴びるのである。seekor kerbau berkubang,
semua kena lumpurnyaということわざを世話人はseekor kerbau berkubang, penggaduh 
juga kena lumpurnyaと言い換えている。[ 続く ]