「ウシ ウシ ウシ(14)」(2021年09月23日)

そんな関係が築かれたとき、水牛は世話人以外の人間をたいそう嫌う。だから水牛を人間
のたくさんいる場所に連れて行くとき、水牛の目を覆って周囲がよく見えないようにしな
ければならない。あるとき、世話人の甥が遊びにやってきたら、世話人の水牛はつかつか
と甥に歩み寄って必殺の一蹴りを甥に加えた。甥は敏捷にそれを避けたから事故にならな
かったが、女性や年寄りであったなら不測の事態に至った可能性は小さくない。

タンパカン村で飼育されれている水牛は2千頭を超え、飼っている家は最低でも十頭くら
いを保有している。この村の主産業は漁労であり、水牛飼育は副業という感触が濃厚だ。
この村の水牛飼育は5代前くらいから始まって、先祖代々の家業のひとつになった。この
村の住民もたいていが投資としての飼育を行っており、何代にも渡ってメッカ巡礼を行い、
子供たちを大学に上げている。ほとんど毎日水牛を買うひとがこの村にやって来るそうだ。
そのほとんどは解体して肉をパサルで売るのを目的にしている。


東カリマンタン州にももちろん、たくさん水牛がいる。サマリンダから直線距離で80キ
ロ離れたマハカマ河流域のスマヤンSemayang湖周辺湿地帯には、近辺の村々が飼っている
水牛が放牧されている。同じマハカム流域のムリンタンMelintang湖やジュンパンJempang
湖も水牛の棲息地になっている。

スマヤン湖にはたくさんの漁獲のための仕掛けが設けられていて、周辺村々の住民の生計
が漁労で営まれていることを物語っている。この地方でも水牛飼育は副業にされており、
大きい出費が起こったときの販売資産として用いられるケースが大半だ。

スマヤン湖の湿地に群れている多数の水牛の中の一頭を案内人のエラムさんが指差して、
自分の水牛だと言った。かれは16頭の水牛を持っている。この地方では、生後一カ月く
らいの水牛の耳に傷をつけて印を描き、持ち主が分かるようにしている。

昔はアメリカで行われているような焼き鏝で持ち主の印を付けることが行われたが、水牛
に合わないことが分かって廃止され、現在の方法に変えられた。水牛がいつも水の中にい
てやけどの後が乾かず、化膿して健康を害するデメリットがはっきりしたからだ。


エラムさんが住むスマヤン村には、昔8百頭の水牛がいた。檻を十分に作りさえすれば、
1千頭でも可能だった。ところが今では、3百頭を超えないように村民たちが頭数調整を
している。自然環境がそれ以上の頭数を支えられなくなっているのだ。洪水が起きると、
水はスマヤン湖からあふれて周辺の湿地帯を深みに変える。人間は屋根裏に上って生活を
続けるが、水牛の檻は水没する。水牛に週日泳ぎ続けさせることなどできはしない。長時
間泳がせれば、疲れて溺死するのである。

大きい洪水が起これば、飼っている水牛たちを泳がせて湖を横断し、遠い森の中に連れて
行って放さなければならない。泳ぎ切ることができずに溺れる者も出る。昔は少なかった
そのような洪水が、年々増加する一方なのだ。

洪水が起こると漁労も難しくなる。乾季が長引いて湖面が低下しても同様だ。そんな時期
には穀物も値上がりする。物価が上昇し、魚を獲ることができなくなれば、住民の生活は
逼迫してしまう。水牛が、そんな状況に陥った住民の救いの神になる。最悪の状況はおよ
そひと月続く。水牛を一頭売れば、そのひと月間の生活費はなんとかカバーされるのであ
る。

マハカム河流域も、農園開発や炭鉱などの鉱山開発が進展する中で、水牛たちにとっての
自然環境はますます反誘導的になっている。乾季にはスマヤン湖をはじめ三つの大型湖の
水が干上がって広大な陸地が出現し、小さい池やくるぶし程度の深さの湿地帯になる。雨
季には流水が増加し、表土流出を伴って湖に流れ込むために湖底が浅くなる。増加した水
は貯水能力の低下した湖に蓄えられきれずに、人間と水牛の生活領域に押し寄せる。水の
コントロールを忘れた人間に飼われる水牛の前途は多難であるにちがいあるまい。
[ 続く ]