「ウシ ウシ ウシ(16)」(2021年09月28日)

村人の水牛の檻が集まっているエリアの夜の見回りは、水牛泥棒への防犯をも兼ねている。
プラウラヤン村でも、あるいはちょっと離れたバニュアシン県ランブタン村でも、水牛泥
棒は増加している。昔は年間で3〜4件しか起こらなかった水牛泥棒が、天然ゴム価格の
低落のために増加傾向にある。

32人のランブタン村民が飼っている7百頭超の水牛を餌場に何日も放しておくと、集め
に行った時に見当たらない者がいることがある。探しに行くと、農園の中で解体された残
骸が見つかる。犯人はたいてい、運びやすい脚だけを持ち去るのだそうだ。

プラウラヤン村の水牛もしばしば泥棒の被害を受け、被害者オーナーがもっと安全な地方
に水牛を移したこともあって、村内の頭数は減少傾向にある。村民の檻が集まっているエ
リアの夜警当番はときどき不審な人間集団が接近して来るのを見かけることがある。集団
の中に刃物や銃を持っている人間が何人もいる。

だが、離れた距離ではあっても夜警と遭遇したその集団は、ほどなく踵を返して去ってい
く。力づくの行動になった例はまだないそうだ。水牛肉を祭礼の饗宴に必須のものと位置
付けている地方は南スマトラ州にもまだ多く、そのために祭礼シーズンと水牛泥棒シーズ
ンはほぼ同期している。


スマトラ島の各地では、水牛が祭礼になくてはならないものになっているために、水牛が
屠られて水牛肉の饗宴が行われなければ祭礼にならない、と地元民の多くは感じている。
水牛は伝統と慣習に培われて来た祭礼の中の重要な要素なのだ。関係者に大切な意味を持
つ祭礼の重要な一こまであり、そして祭礼主催者の社会ステータスを確認させるためのも
のでもある。

南スマトラ州ムシ河口の漁村、スンサン村でも祭礼の場には常に水牛がいる。この村でも、
婚姻・割礼・赤児の命名などの祝祭のとき、必ず水牛を屠る。「どうしてこの慣習が生ま
れたのかよく分からないが、遠い先祖から伝えられてきた風習だ。たとえ他の肉があった
としても、水牛肉が振舞われなければ何かが欠けているという印象をみんなが抱く。」ス
ンサン村の長老のひとりはそう語っている。水牛一頭の価格は牛一頭の2倍する。より高
額な品物を共同体構成員に振舞う社会的効果がそこにも顔を出すようにわたしには思われ
る。

パレンバン南部の水牛センターのひとつであるランプタン村に、プラブムリ周辺の村々か
らしばしば祭礼用の水牛を買いにひとが来る。イスラムカレンダーの正月にあたるムハラ
ム月が近付くと、それらの村々からsedekah adat祭礼のために必ず水牛を買いに来る。高
い水牛をやめて牛に変えたらどうかという話をしても、水牛でなければ祭礼にならないと
村人たちは言い張るそうだ。

南スマトラのこの湿地帯でも、白子水牛が産まれる。白子水牛ともなれば、普通の水牛の
倍以上の値が付く。そんな特別な水牛が屠られたなら、関係者にとってはたいへんな誉に
なることだろう。


南スマトラ州でもっとも有名な水牛センターであるパンパガン地方は元々、水牛の原生地
でなかった。商人が1900年ごろマラヤ半島から水牛を持ち込んだのが始まりだったと
州畜産局は説明している。

南スマトラの食肉と労働力需要のために、数十頭が運ばれて来た。地元民は1920年ご
ろから水牛のミルクを加工することを始めた。グロプアン・サゴンプアン・サミン油など
が産物になった。この地の水牛たちは十分に環境に適応したために、ミルクに含まれてい
るたんぱく質が他の土地の水牛よりも豊富であると言われている。[ 続く ]