「イ_ア東部地方料理(11)」(2021年10月13日)

パプアからテルナーテのガデ丘に戻ろう。
テルナーテは魚の宝庫だが、野菜や肉が不足している。野菜畑もあり、食用の飼育動物も
いないわけでないものの、全住民の口と腹を満たすには足りないから、マカッサルやマナ
ドから輸入しなければならない。中でも、ニワトリにしろ牛にしろ、食肉の多くは飼育者
が自家消費用に飼っているものだから、たいした量が地元流通機構に流れて来ない。テル
ナーテの飲食業界にとっては、それがひとつの困難になっている。


バンドンにバンドレッbandrekやバジグルbajigurがあり、ヨグヤやソロにウエダンwedang
があるように、テルナーテにはair gorakaがある。ショウガをすってヤシ砂糖とパンダン
の葉と一緒に水に入れ、およそ一時間くらい煮て香りが十分立ち昇って来ればできあがり。
グラスに注ぎ、砕いたクルミが振りかけられて、テーブルに運ばれる。

冷たくならないうちに飲むのが良い。それにミルクを加えるかどうかというチョイスがあ
るのだが、ショウガの効用を望む人は入れない方が安心感があるだろう。呼吸器系の健康
を気にしているひとには、ミルクなしが勧められている。

この温かいショウガ飲料は、夕方のそよ風の下で、ガデ丘に登って海に浮かぶ山島を眺め
ながら愉しむのが最高ですと二軒のカフェレストランは異口同音に勧める。ピサンゴレン
やカスビゴレンがゴラカ受けには最適だ。テルナーテに足跡を印した想い出はきっと、そ
のような印象になって観光客の記憶に刻まれることだろう。


ナツメグが原因で大量虐殺の悲惨な歴史を担うことになったバンダ島に、ナツメグを使っ
た魚のスープがある。6つの火山島から成るバンダ諸島にポルトガル人がやってきたのは
1511年だった。この島々にだけ生えていたナツメグの実を独占しようとして、ポルト
ガル・スペイン・オランダ・イギリスが互いに覇を競い合い、最終的に競争相手を蹴落と
したオランダが原住民を殺りくし、また奴隷にしてバタヴィアに移住させ、オランダ人農
園主のための労働力だけを残して原住民の姿をバンダの島々から消し去った。


中世ヨーロッパではナツメグが万能薬と信じられ、黄金と同じ価値がナツメグに与えられ
た。ナツメグはペストの治療、赤痢や血便を治癒し、インポテンツや抑うつを治すためな
どに高価な薬物として使われた。食肉の保存効果だけで果たして黄金並みの価値に達し得
たかどうか?

ナツメグには抗炎症効果があるため、炎症部位や傷口に精油を数滴塗るだけで身体が楽に
なることは実証されている。服用すれば精神を鎮静化させる効用があり、古い時代から医
者は不安症や不眠症の患者に使っていた。アユルヴェーダには、寝る前に温かいミルクに
ナツメグを一滴落として飲むように、またアーモンドとカルダモンを加えるともっと効果
的になる、と書かれている。

消化器官の機能を高める効果も持っていて、腹痛に効果を発揮した。ギリシャ〜ローマ時
代にナツメグは媚薬としても使われた。脳神経の正常な性反応を回復させるのだそうだ。
また脳の活動を正常化させることから、不安や精神的ストレスへの鎮静効果もあった。

細菌の働きを抑制する機能の研究から、口腔内の健康保持にたいへん有効であることも発
表されていて、歯痛やカリエスへの対応に使用されている。おまけに、肝臓や血圧、皮膚
の健康増進、抗がん効果なども語られている。こうして見るなら、中世ヨーロッパ人が信
じた通り、ナツメグに付随している万能薬の姿を否定することも難しいようだ。


わたしは1970年代半ばのジャカルタで、しばしばナツメグの果肉の砂糖漬けmanisan 
palaを食べていた。あのころは、住宅地のワルンでもスーパーマーケットでも、果肉のマ
ニサンは実にさまざまな種類が売られていて、それがスーパー内の売り場の一画を占めて
いた。今でも店によっては似たようなコーナーを設けているところがあるものの、昨今の
品物はすべて工場製の印象がたいへん強く、昔のあの家内工業的な手作りの雰囲気を見出
すことは稀だ。

わたしは決してナツメグのマニサンを好んで食べていたのでなく、友人たちから食べろと
勧められるままに食べていたのだが、まだ若造のわたしには味に違和感があって、自分の
嗜好に適合した食べ物とは言えなかった。[ 続く ]