「イ_ア東部地方料理(終)」(2021年10月21日)

マリアさんが何十個ものサツマイモを掘り出して地面に置く。「ああ、これが一番美味し
い。」と言ってアッソさんが中の数個を取り、記者に差し出した。その紫色の芋は普通に
乾いている生芋にしか見えない。記者がそれを受取ると、芋が手の中で割れた。湯気と香
りが立ち昇る。ひと噛みすると、肉が口の中で溶けた。芋の肉は純粋で素朴で柔らかく、
そして蜜のように甘い。

今度はマリアさんがトウモロコシを一本差し出した。皮をむいて乾いている実をかじる。
甘味が口の中に広がった。「茹でたり蒸したものより、甘味が全然違うでしょう。」マリ
アさんはそう言って笑った。


パプアの低地部にはサゴの樹が自生している。サツマイモのように畑作をしなくとも、食
糧を得ることができる。アスマッ県カイバル地区にあるシラツ川畔の共同サゴ林でふたり
の幼児を連れたアスマッ族の夫婦がサゴを穫っている。このサゴ林は種族の共有財産であ
り、種族構成員であればだれが穫ってもかまわない。一家は二日前からピネルビス部落を
後にして小舟で何キロも川をさかのぼり、共同林にやってきた。その間は野宿しながらサ
ゴの収穫を行い、必要な量が得られたらまた部落に戻るのである。

妻のアグスティナさんは3歳の長女を背にしっかりと結び付け、杵の形状に作った木の棒
を振るって大人の一抱えほどもあるサゴの幹を割り、幹の内部にあるでんぷん層を崩して
袋に入れる。アグスティナさんが川辺にそれを持って行くと、川ででんぷん質の抽出作業
をしている夫のルーベンさんに渡す。

ルーベンさんはサゴの葉の柄にくくりつけられた布の袋にそれを入れ、強い力で揉む。す
るとでんぷん質が溶けて流れ出る。すぐ後ろには別のサゴの葉があり、でんぷん質はそこ
に溜まる。2か月分の消費量が得られたら、やっと部落に帰ることができる。それだけの
量を得るためには、この一家は2〜3週間この共同サゴ林での暮らしを続けなければなら
ない。


パプアの北東部でニューギニアとの国境に近いジャヤプラのスンタニSentani地方では、
サゴを熱湯で溶かしてゼリー状の粥にしたパペダが一般に食されていて、アスマッ地方の
単に焼くだけの調理法と異なっている。それはスンタニ地方の住民が昔から粘土を焼いて
作った土鍋を使っていたからで、その道具が普及していないアスマッのひとびとの食べ方
とはおのずと違いが出てきている。

パペダの作り方はたいへん簡単であり、サゴ粉にライムの搾り汁と塩と冷水を混ぜて濾し、
その上から沸騰した水を注いで平均にこね、ゲル状にする。土鍋がなければ熱湯は作れな
いのだ。このパペダは魚の黄色スープikan kuah kuningとサンタン野菜や魚の透明スープ
sup ikan beningなどと一緒に食べる。

はしやヤシの葉脈を使って鉢からゲル状のパペダを丸めて取り出し、それをスープの皿に
入れてスープと一緒に飲む。葉で噛む必要はまったくない。パペダを冷蔵庫で冷やすと塊
りになるため、必ず室温にして置かなければならない。熱いのを食べるもよし、冷めたも
のもよしではあるが、室温が最低限になるのである。パペダは室温のままで二日間保存で
きる。


焼いただけのサゴでも、パペダでも、低地人たちはサゴが祖霊によってもたらされたもの
であり、祖霊との交信の媒体であることを信じている。高地人の石焼と同じだ。パプア低
地人たちのほとんどどの地方のどの種族であっても、わが身を犠牲にして子孫に食べ物を
用意してくれた祖先の霊の神話伝説が、名前や物語の展開にバリエーションを見せながら
も、同じように語り継がれているのである。

低地人にとってのサゴは単なる食べ物を超えた畏敬崇拝の対象の位置に置かれていた。し
かしジャワ文化によるヌサンタラの食統一の過程で、非米食地域のコメによる制覇が起こ
り、その動きに乗った現地人たちの食生活が伝統的なものから外来の現代的なものに移行
しはじめた。パプアの都市部で若い世代にサゴ離れが起こり、サゴの穫り入れ方法や食用
に加工する方法すら知らない者が増加している。過去に連綿と培われてきた伝統的な価値
観は、工業製品によって意識のかなたに追いやられる日が近付いているようだ。[ 完 ]