「ランタン(1)」(2021年10月25日)

1970年代半ばのジャカルタでは、rantangが市民生活の中で普通に使われていた。ラ
ンタンとは日本の手提げ重箱と同じ機能を持つ道具で、積み重なった容器のそれぞれに食
べ物を入れ、一番上にふたがあり、手に提げられるように持ち手がついたものだ。昔は出
前のシステムがほとんどなかったから、家からランタンを持って食堂・レストランへ行き、
そこに料理を入れてもらって持ち帰る使い方をした。

だがもっと古くから行われていた使い方は弁当箱である。20世紀初期の時代、バタヴィ
アのモーレンフリート西通り(今のガジャマダ通り)は勤労日のお昼前になると毎日、コ
タのオフィスで働いているトアンたちに昼ご飯を届けるために、召使いたちがランタンを
提げて徒歩や自転車で北に向かったという話が拙著「バタヴィア紀行(10)」内に出て
来る。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-29BataviaCityTour1900.html
をご参照ください。


インドネシアで使われているランタンの起源は、中国に由来するという意見もあるのだが、
インド由来の方が有力なようだ。インドでtiffinと呼ばれるこの道具は、インドネシアで
一般的なものとデザインがとてもよく似ている。インドのティフィンの歴史はたいそう古
い。叙事詩マハバラタの中にその道具が描かれているそうだ。

インドの学術界が行った調査研究によれば、マハバラタに登場するランタンは円形の素焼
き陶器を四個積み重ねたもので、下から上に円錐状に小さくなっていた。その四つが運ぶ
ときに崩れて落ちないようにするために、ヤシの繊維で作った縄を下から上にかけて縛り、
女性たちはそれを頭の上に載せて運んだのである。それぞれ四つの容器に入れられるもの
は液状の物品が多かった。

インドネシアで使われて来たランタンは各容器が同一サイズになっているのが普通で、外
見は円筒状になる。ところが北スマトラ州メダンに住んでいるインド系住民の間では、円
錐形のランタンも決して珍しいものでない。もちろん、金属加工が既に発展した時代を経
て来たのだから、素焼き陶器などは使われず、ステンレスが当然のように使われている。


一方、中国人学者の間には、インドネシアのランタンは中国起源であると主張する意見も
ある。中国の風習の中に、結婚する家があると近隣の各家庭がそのお祝いに料理を作って
届ける習慣があって、その時に使われる手提げ容器がランタンとそっくりだと言うのであ
る。

しかし、中国のその習慣に使われるものはランタンと同じ機能だがもっと大型のものであ
り、ジャワでトゥノガンtenonganと呼ばれる、食べ物がたくさん運べるものに該当してい
て、弁当箱代わりに使われるランタンとは用法が異なっているという意見もある。トゥノ
ガンはジャワの村落で行われる伝統行事のひとつ、村人が集まって路上で一緒に食事する
催しや、露天食べ物商人が道端に商品を広げて販売する際の容器として使われており、確
かにそれらの用途に合致したサイズになっている。

いかにも中国起源を思わせるランタンという言葉に反して、どうやら物品の由来について
はインド説が有力なようだ。しかし現代インドネシアで見ることのできるランタンの中に
は中国風の絵が描かれた陶器製のものも混じっていて、中国文化の影響は皆無だなどと言
えるはずもない。

人間が長い歴史の中で受容し摂取したさまざまな文化が、人間の作り出す文化産物にさま
ざまな形で影響をもたらすことが起こったのは当たり前の話であり、その能力こそが人間
を人間たらしめていることを軽視してはなるまい。

そのオリジナルがどこの文化に由来しているなどという論争を力んでしてみたところで、
物知り自慢の鼻を高める効果と実利くらいしか期待できないのではあるまいか。ものの起
源や由来あるいは語源などというものは、複数の真理・真実があって当然なようにわたし
には思われるのである。[ 続く ]