「ランタン(2)」(2021年10月26日)

ティフィンの歴史に戻ろう。インドでティフィンの使用が活発化したのは、イギリス人に
よるインド支配が深まってからのことだった。イギリス人が何人もインドの要所要所に住
み着き、そこで家族と一緒に暮らすようになった。イギリス人のオフィスで働くペルシャ
人も増加した。ところがインド料理はかれら異文化人の口になかなか合わなかった。つま
り、オフィスの内外でインド人に昼飯を作らせてそれを食べることのできる豪傑人間があ
まりいなかったということらしい。もちろん、外の道端にあるフードスタンドで食べると
下痢が怖いという要素もあっただろうが・・・

たいていのイギリス人もペルシャ人も自宅で作る料理を昼飯に食べることを望んだ。そう
なると、昼食時に自宅から料理を容器に入れて召使いがトアンのオフィスに届けなければ
ならなくなる。さあ、どの器に入れて召使いに運ばせようか?そうだ、ランタンを使えば
便利だ。

そもそも、イギリス文化の中にランタンのような道具は存在しない。ティフィンとはイン
ド文化の中でイギリス人が作った英語だと言われている。しかし英語ウィキによれば、テ
ィフィンという語は元々イギリス文化のライフスタイルであるアフタヌーンティーに由来
していて、軽く飲み物を飲むtiffingから来たと説明されている。そこから軽く飲食する
行為、そしてそのための飲食物をtiffinという言葉で示すようになり、ついにインドでは
外出先で食べる、家で作られた弁当の意味に使われるようになった。

だからティフィンとはランタンに入れて運ばれる食べ物のことであり、その容器はtiffin 
carrierやtiffin boxが正確な用法であるが、人間の本性である省略が起こってtiffinだ
けで容器をも意味するようになったというのが英語ウィキの説明だった。


イギリス人は本拠地のインドで行っていた習慣を出先のマラヤ半島やシンガポールでも行
った。現在インドネシアで一般的なランタンの姿は、マラヤ半島で南洋華人の手が加えら
れた後、インドネシアを含む東南アジアの各地に広まって行った結果ではないかと推測さ
れる。

そこでは円錐形から円筒形への変化、金属板製のみならず彩色陶器から木や竹などの素材
を使うバリエーション、個人用から数人用までの諸サイズの広がり、などといった革新が
行われたことが想像される。

ヌサンタラで19世紀に作られた弁当箱は、ビスケット缶を廃物利用した金属製のものだ
った。1850年代になって金属板を使った弁当箱製品が世に出るようになった。186
0年代に書かれたその製法特許に関する記録が見つかる。ここで使われている弁当箱とい
う言葉はランタンを含む、食べ物を運ぶための道具の意味で使われていて、一層か多層か
という形態の区別はなされていない。

1904年に真空魔法瓶が発売されて、一大流行になった。金持ちは熱い料理をそれに入
れて持ち運んだ。1960年代にプラスチック製弁当箱が出現し、子供たちに人気のある
キャラクターが描かれて、大いに売れた。大人用は相変わらずの金属製弁当箱が販売され
た。

弁当箱が一般に使われるようになる前の時代には、金属製の円筒形小型バケツが食べ物を
運ぶのに使われた。弁当箱が普及したあとでそれを依然として使っている者は蔑みの視線
を浴びなければならなかった。

ランタンに関して言うなら、金属製のランタンは単なる積み重ね弁当箱や料理を運ぶ道具
を超えた機能を持っている。通常、四つ重ねられている容器は鍋として使うことができる。
鍋の左右には耳がついていて火からの上げ下ろしが楽に行え、またその耳はランタンとし
て固定する際の通し棒を通す穴にもなっている。

ランタンが普及した初期のころ、兵隊が二段重ねのランタンを野外に出る時に持ち歩いた。
また工場や事務所に勤めに出た夫の昼食を妻がランタンに入れて勤め先に送り届けた。普
通は一番下の容器に飯が入り、その上はおかず類で、一番上にはコーヒーとスナックが置
かれることもあった。

昔はイドゥルフィトリやイドゥルアドハの祝祭日に、料理を入れたランタンを親戚友人の
間で互いに送り合う習慣もあった。これは中国の昔の結婚式のお祝いとよく似ている。
[ 続く ]