「ランタン(終)」(2021年10月27日)

インドネシアでランタンは1990年代ごろまで普通の日常生活の中に見られたが、イン
ドネシア国内でのライフスタイルの変化に伴って、ランタンを持ち歩く人間を賎しみ蔑む
価値観が発生するようになった。要するに、スマートでないカッペ様式の時代遅れ人間と
いう視点だろう。

プラスチック素材の食べ物容器の普及とファーストフードの庶民化が背中合わせに起こっ
たのがその時代だったように思われる。ハンバーガーやフライドチキンのファーストフー
ド店は大都市に70年代ごろから既に存在していたが、まだまだ一般庶民が日々、普通に
出入りする時代でなかった。ましてや、一般の食堂で持ち帰り用プラ製容器が用意される
ようになったのは何十年もあとのことだ。

そのライフスタイルの変化は、食におけるローカル文化が国際文化に制覇された道程であ
り、食の産業化が伝統文化にあった食の意味を変化させたことでもあり、かつてはもっと
自由に選択できた人間の生き様が容赦ない産業化の前に否応なしに膝を屈している姿にも
なっている。

昔、一般庶民が食べ物を買って持ち運ぶ場合には、庶民向け食堂はバナナ葉とロー引き紙
を使っていたように記憶している。その伝統はいまだにナシブンクスnasi bungkusに生き
残っている。ケータリング事業者が紙の箱入り弁当を販売するときにはナシコタッnasi 
kotakと呼ばれてブンクスと呼ばれなかった。その種のテーカウェーtake away容器では汁
物を買うことができないから、ランタンが必要だったのである。

ところで余談だが、昨今、持ち帰り料理をバリ島の食堂でテーカウェーと言って頼むと、
従業員が伝票にTKWと書いているのを発見した。二カ所くらいで見たように思う。はたし
て当人は意味の違いを理解した上でそうしているのかどうか?食べ物の持ち帰りと女性海
外出稼ぎ者とは何のつながりもないのだが・・・


ともあれ、ランタンがインドネシアの一般市民生活の場から消えて数十年という長い歳月
が過ぎ去った。ランタンは今や装飾品であり骨とう品として扱われている。とはいえ、一
様にヌサンタラの地上から消滅したわけでは決してない。農村部へ行けば、家から離れた
場所で畑仕事をしている農夫たちに昼ごろ、家からランタンが届けられるシーンをいまだ
に垣間見ることができる。

ところがインドではティフィンの習慣が維持され、現代インド人サラリーマンたちは家か
ら届けられる弁当を昼食に食べているのだ。もちろんサラリーマンたちには弁当を届けに
来る召使いを雇う能力などない。その習慣がひとつの巨大ビジネスを生み出したのである。
家からオフィスに弁当を届け、空のティフィンをまた家に返す送迎を有料で行うダバワラ
dabbawallahの仕事がそれだ。ダバワラの綴りはまた別にdabbawalaとも書かれ、昔はtiffin 
wallahとも呼ばれた。

ムンバイでは5千人のダバワラが17万5千個のティフィンを一日に取り扱っているそう
だ。近ければ自転車、遠距離なら通勤列車を使って、サラリーマンの自宅へ弁当を取りに
行き、食べ終わった弁当箱のティフィンをまた自宅に届ける仕事をかれらはしている。

dabbaという言葉はdhabaという同音派生語を生んだ。dhabaとはいろんな料理を道端に並
べて販売しているフードスタンドであり、箱・弁当箱・ティフィンなどと同義語になって
いる。バリ島のヌサドゥアにはIndian Dhabaというインド料理店もある。

人口が多く、十分な職がなく、そのためにそんなダバワラ現象がインドで発生する余地が
あるのだという視点に立つだけであるのなら、生き様が産業化によって削り取られ、やせ
細ってしまった人間の回帰するべき場所の発見は永遠に起こらないかもしれない。[ 完 ]