「ヌサンタラの馬(16)」(2021年10月27日)

2012年12月、ムナ県庁が観光促進催事であるフェスティバルナパバレの一プログラ
ムとして、ラワ郡ラトゥゴ村で闘馬を催した。カリムさんが総指揮を取り、アブジナさん
を含む数人の調教師たちがポギラハアッハラの進行を司る。

今回は薄茶色のオス馬と濃茶色のオス馬の対戦だ。互いに後脚で立ち上がり、前脚で相手
を打ち、口で相手に咬みつく。半ば組みついて互いに押し合い、相手を追い詰めようとす
る。一方があわや押し倒されそうになったとき、大けがが起こらないようにするため、ア
ブジナさんが両者を分けようと努めた。この闘いでは、馬が大けがをしたり死んだりして
はならないのである。闘馬とは言うものの、本気で決闘を行わせるのでなく、馬に喧嘩さ
せてそれを眺めるというのがムナのポギラハアッハラなのだ。

対決者のどちらかが戦意を失ったり、立ち回りが見物人を十分楽しませたと思われたら、
対決はおしまいになる。あくまでも賓客への娯楽であり、みんなが愉しめばそれで十分な
のであって、だれが勝ったとか勝利者はだれだったなどということを決めるのが目的なの
ではない。

この催しには数人の馬調教師が参加する。馬同士の喧嘩が後遺症や死をもたらすことのな
いようにしなければならない。そしてまた、興奮した馬が前後の見境もなくなって暴れ回
ったり走り回ったりしないように。そんなことが起これば、この催しの見物に集まった数
百人の群衆に大きな危険がもたらされることになりかねない。この催しはいつも単なる広
い空間で行われているだけで、観客は馬のいる場所を遠巻きにして眺めているだけであり、
喧嘩の場所が移動して行けば、観客もそれに引きずられて移動する。観客席とアリーナが
歴然と分離された闘技場などは存在しないのだ。それだけに、馬が走り回ればたいへんな
危険が観客を襲う。この催事は馬が巨体を立ち上がらせてくんずほぐれつの喧嘩をすると
いう、たいへん見応えのあるショーにとどめておかなければならないのである。

馬調教師たちはそれらの必須事項をすべて頭に入れた上で、その催しにおける自分の位置
と自分の動き、そしてタイミングを考えながら動く。子供のころからその催事に巻き込ま
れて、何がどう起こるのか、どんなことが起こりうるのか、といったことを肌身の体験と
して持っているがこそ、かれらは実に効果的な動きを示すのである。

しかし不幸な事故が起こらなかったわけでもない。馬調教師が馬の事故を防ごうとして、
自分が馬に蹴られることもしばしば発生した。


この闘馬の実施手順は、まず喧嘩させるオス馬をハーレムから離し、それぞれを相手のハ
ーレムのメス馬に近付けるのである。両者は互いに、相手が自分のハーレムを侵そうとし
ていると思って怒り狂う。

馬が怒ることは滅多にない。自分のハーレム、あるいは家族と言ってもよいだろう、を他
の馬が侵しに来たときを除いては。だから、馬を喧嘩させるには馬にそう思わせるのが一
番なのである。

オス馬が自分の家族を守るために侵略者と喧嘩する。それはハーレムを統治するオス馬に
とって自己の存在の尊厳を賭けた闘いなのだ。ムナのポギラハアッハラの哲学はそこに置
かれている。馬でさえ、自己の尊厳が失われようとするとき、雄々しく立ち上がって挑戦
するのだから、ましてや人間においておや、ということを一般大衆に教えているのがその
哲学であるにちがいあるまい。

しかし、同じように馬が好きな西洋人たちには、ポギラハアッハラの哲学は理解の外にあ
る。ポギラハアッハラは馬にとって残酷な仕打ちだと西洋人たちは言う。そんなふうに仕
組まれて人間にもてあそばれる馬が可哀相だ、と。 

西洋人が好まないからポギラハアッハラが下火になってしまったのだと語る声もある。し
かし、それは本質論ではないだろう。ポギラハアッハラの催行が減ったのは、地元民が馬
を持たなくなったことが真の原因であるはずだ。その行為の基盤に置かれていた哲学が、
西洋人の顔色によってそこまで簡単に覆されるものなのかどうか?[ 続く ]