「ジャワ人の台所(1)」(2021年11月01日)

ジャワで台所は古来から、裏にあるもの、隠れたものという理解になっていた。そこには
深鍋・平鍋・ヤカン・土壺・すり鉢などの調理器具が置かれた竹製の棚や台があり、同時
に薪を使う粘土製や煉瓦製の炉があって、料理するとき、濃い煙が息苦しさをもたらし、
目を痛くした。その伝統的な台所のあり方に異なるコンセプトをもたらしたのは、オラン
ダ人だった。


1869年にスエズ運河が開通してヨーロッパとアジア間の船旅の日数が大幅に短縮され
たことで、アジアへの旅はヨーロッパ女性たちを大いに誘惑するようになる。その爆発現
象はまだ数十年待たなければならなかったが、オランダ領東インドにも妻子を伴って行政
官僚が赴任したり事業者が移住する可能性が開かれたことは間違いがない。

ジャワ島に住むオランダ女性が増加して来ると、ジャワで手に入る食材を使ってオランダ
料理を作るアイデアが価値を持つようになる。まだオランダ本国にいて、これからジャワ
に住もうとしている女性にとっても、予備知識は喉から手が出るほど欲しい。料理レシピ
集や台所関連情報は売れるだろう。ジャワの女性はどんな台所で何をしているのだろうか。
その時代、世界中の女性にとって、台所は数少ない自己実現の場のひとつになっていたこ
とを忘れてはなるまい。

ベルクムN van Berkumは1899年にDe Hollandsche Tafel in Indieと題する書物を書
いた。それが出版されたのは1900年で、その中に汚く、暗く、換気のないジャワの台
所の様子が記されている。


1920年代に作られたムラユ語学校向け教科書Pendjaga Diri: Kitab Batjaan tentang 
Kesehatan Oentoek Sekolah Melajoeにも、ジャワの台所について同じような内容が描か
れている。それどころか、台所の近くに家畜小屋があることまで指摘されている。この教
科書はプリブミに健康な生活を営むことを教えるためのもので、編者はもちろん清潔な台
所が健康生活に不可欠であることを踏まえて内容を編纂している。

オランダ植民地政庁はジャワ島内での疫病の流行に対処するため、ジャワ人医師養成を1
853年から開始した。それが本格化して大量の医師養成が行われるようになったのは1
889年のSTOVIA開校以来だ。そのジャワ人医師たちが同胞の健康生活向上を目指
して台所に関する意識改革推進の立役者になった。健康な家庭は健康な台所が基盤になる。
調理器具が整然と置かれ、タイル張りの床は濡れておらず、十分な換気がなされているの
が健康な台所のイメージだ。


健康な台所の普及促進は持続的に行われた。ジャワ語とジャワ文字で書かれた1931年
の教科書Siti Karo Slametには、清潔で乾いた床の、大きな換気窓がある台所のイラスト
が掲載されている。オランダ植民地政庁はジャワ人の健康生活を、住民教育の中で総力を
あげて推進した。

共和国独立後もその伝統は続けられた。料理レシピ書籍の中にも、良い台所とはどのよう
なものであるかを解説するページが盛り込まれている。たとえばその一例として1954
年に出されたBuku Masakanと題するレシピ本には、良い台所は日光が差し込み、すべての
調理器具が収められだけの広さがあり、中で身体動作が自由に行え、新鮮な空気が流れ込
むこと、が条件として挙げられている。[ 続く ]