「ヌサンタラの馬(19)」(2021年11月01日)

かれは一行の寝泊まりする小屋を竹柱とビニールシートの屋根と壁で厩舎の近くに作った。
一週間の飲食の一切もかれが面倒を見る。誘われたひとびとは身一つで付いて来ればよい。
ハサン氏の仕事を親身になって手伝うが、それは仲間としての善意による行為であって、
使用人になったわけでは決してない。

7千万ルピアだと言うかれの持ち馬ジャグアルブキッキラッがアリーナに姿を現すと、ギ
ャラリーのあちこちから「ジャグア〜ル!」という叫び声が湧き起こった。ファンが少な
からずいるのである。

「この一週間の出費はおよそ1千5百万ルピアと見積もっている。みんながここに集まっ
て心から楽しめるなら、そんな出費など廉いものだ。わしも、すべてを忘れてこの祭事を
愉しむつもりだ。」ハサン氏はそう語る。

ブヌルムリアから持ち馬を参加させるために来たザイニさん38歳も、友人隣人25家族
を誘ってやってきた。みんなは、炊けたばかりの白飯にナンカと塩魚のおかずを載せて一
緒に食事中だ。かれの持ち馬の中の5頭は優勝経験がある。「こんなおかずだけでも、こ
こで食べる飯は最高においしい。これで馬が優勝すれば、頬っぺたが落ちるよ。」


参加者はみんな、言うまでもなく優勝を狙っている。かと言って、優勝者への賞金などし
れたものだ。一等賞の賞金が6百万とか7百万ルピア。競走馬の飼育のための出費は食費
やビタミンなどで月3百万ルピアかかる。そんな賞金は2カ月で馬に食われてしまう。参
加者が求めているのは勝利の栄光であり、手塩にかけた馬の優秀さを確認することにある。
オーナーにとっての、自己の存在証明がそこにあるのだろう。

「馬はストレスを忘れさせ、憂鬱な気分を晴らしてくれる。健康で元気な馬の姿を見れば、
ふさいだ気分は吹き飛んでしまう。趣味として馬の飼育に真剣に取り組むようになってか
ら、わしは重い病気にかかったことがない。自分の馬が競争で勝ったら、歓びは最高潮に
達する。そんな気分で重病にかかるはずがない。
ただ、勝てなくても、気がふさぐようになってはいけない。気にしないことだ。また勝つ
機会がきっとやってくるだろうと信じて。」ハサン氏は馬のいる自分の暮らしについて、
そうコメントした。


毎日終日行われる競馬の一週間、人出は最初3千人くらいだが、終わりが近付いて来るこ
ろには1万人に達する勢いになる。この一週間の祭りは、普段離れている家族親族が集う
機会をもたらし、古い友人と再会する場になり、そして伴侶を探し出すチャンスをももた
らしてくれる。仕事を忘れ、別々に暮らしている大家族が一堂に会して一緒に行動し、一
緒に食事する。人間同士の親睦が、誰に命じられることもなく、ごく自然にそこに開花し
ていくのである。

そんな大勢の人間が集まって徘徊しているブランブバンカに、物売が集まらないはずがな
いのがインドネシアだ。アチェ・パダン・マンダイリンの食べ物屋台が、衣服や衣装アク
セサリーの物売が、そして幼児向けの乗り物や玩具売りが、列をなして店開きする。ブラ
ンブバンカはその期間、まるで10Haの大遊園地のようになる。

商売するためにやってきたひとびとは9百人おり、商果の規模は初めごろだと一日5億ル
ピア、終わりごろには一日10億ルピアに達している、とこの催事運営委員会は見積もっ
ている、

ギャラリーの中に、隣り合ったひとびとの間で現ナマが動いている様子が見える。この催
事は、青年から老人に至るまで賭博の機会をも与えているのだ。馬主のひとりは、「賭博
が行われているのを知らない者はいない。この祭りが終わったあと、新車の四輪自動車を
買う者までいる。賭博で勝ったんだよ。」と語っている。

催事運営委員会担当者のひとりは、「ひとびとはこの祭事の中でだけ賭博を楽しんでいる。
この一週間が終われば、また賭博のない生活に戻って行く。」と述べている。しかしいま
だに闘鶏の好きなウランガヨもいて、警察とのいたちごっこが行われている面もある。そ
れに関する真相は闇とおぼろの間に見え隠れしているようだ。[ 続く ]