「ジャワ人の台所(終)」(2021年11月03日)

ウマル・カヤム作Para Priayi(2012年)はそれを示している。ひとが上流階層priayi
出身者であるかどうかは、台所でのふるまいで分るのだ。昔のジャワの上流階層は貴族階
層だった。プリアイ層の女性は、食卓の整え方がすぐれていると、良い妻になると見られ
た。皿を裏返しに置き、フォークとスプーンは皿の右側、グラスは皿の左側に置く。

ジャワの女性を男性はkonco winking(後の仲間・後の味方)と呼んだ。表にいる夫が解
決困難な問題を妻が裏で解決してくれるというのがコンチョウィンキンのコンセプトだ。

現代の台所はもはや、コンチョウィンキンだけの場所でなくなった。男性も台所のことが
らにはばかりもなく口を出すようになり、料理が趣味だと言う男性も少なくない。現代は
料理が女性の専門でなくなった時代だ。台所は女の世界であり、男が台所で何かしている
と男としての値打ちが問われた時代は既に過去のものになった。男にとって台所はもうタ
ブーでない。それどころか職業料理人の世界では、シェフと呼ばれる人間はどうやら男性
のほうが多いようだ。


そんな変化を単純に進歩と呼んで良いものだろうか。その過程の中で失われたものもある
のだから。ジャン・ニューベリーは著作Back Door Javaの中で、通常は台所に通じている
ジャワの裏扉がその家の裏手への直接アクセス路以上のものであったことを明らかにした。
裏扉は、表扉を通じては行え得ないさまざまなことがらへのアクセス路でもあったのであ
る。

ジャワ社会では、台所と家の裏手は女中と子供たちが集まってふざけ合っても顰蹙を買わ
ない場所だった。中でも、台所は隣人たちとの情報交換や食べ物のやり取りをする場所に
もなった。

公的なことがらはすべて表の客間で行われ、公的でないものごと、時には公的なものより
も重要で決定的なことがらが家の裏手でなされた。ミナンカバウ出身のイスラム著名人ア
グッ・サリムH Agus Salimは自ら子供たちを台所で教育した。言葉遣い・倫理道徳・生活
の知恵。

現代の社会構造も建築様式も、家の表と裏という観念を時の流れの中に置き去りにした。
各家の裏手が隣近所とつながっているという形は保安やプライバシーという現代コンセプ
トによって排斥され、ライフスタイルは家の表と奥という分類に変わり、家の主は外部者
を奥まで入れるかどうかを選択的に行った。家によって、台所を表に位置付けるところも
あれば、奥に位置付ける家庭もあるが、そこまで入れる人間を選択性にするか一律にする
かの違いがあるだけだ。

家の裏手にあったすべてのものが現代住居の中で表の一部にされたとき、昔の台所が持っ
ていた意義と機能の中の何かが失われることは、避けられなかったのである。[ 完 ]