「ヌサンタラの馬(21)」(2021年11月03日)
馬同士のシラッが終わると、今度は馬と人間のシラッに移る。馬を操る調教師は常に闘技
の達人のシンボルである黒づくめの衣装を着ており、踊り馬の時もそんな姿をしている。
その衣装が特に意味を持つのが人間と馬のシラッ芸の場面だ。立ち上がった馬が調教師に
向かって挑戦の姿勢を取ると、調教師もシラッの構えに入って、いくつかの型を見せなが
ら馬に立ち向かう。

両者は動きながら右や左に移動して立ち回りを演じるものの、馬は両前脚を胸の前で折り
曲げたままその辺りを旋回するだけであり、調教師だけが手を使って馬に触れ、格闘して
いるように見せる。そして決着の時がやってくる。

そのうちに馬は調教師に倒されて地面に横たわる。というのがシナリオで、実際は馬が自
分から地面に寝そべるわけだ。調教師は馬の身体を片足で踏んで勝利を誇示し、あたかも
自分がシラッで馬を倒したかのような振舞いを見せる。

だがいつも人間が勝っていては面白くない。人間が負けるシーンももちろん、用意されて
いるのである。その時は、調教師が馬に倒されたようなかっこうで地面に横たわる。する
と馬は自分の両前脚を調教師の身体の上に乗せて勝者のそぶりを見せる。もちろん調教師
は馬の体重を支えるべき自分の身体部位に馬の脚を導くから、問題はない。

馬の勝つシナリオでは、調教師の身体を踏みつけてから馬がヒヒ〜ンといななけば、大向
こうをうならせる芝居が一丁できあがることになりそうだが、そこまで芝居がかったこと
をはたして馬ができるのかどうか。

この馬のシラッショーはKuda Silatという名前で呼ばれている。祝祭に招かれて大道でこ
のショーが行われるときには、主催者側の幼児や母親を地面に横になった馬の腹の上に載
せて写真を撮らせたりして祝儀を集める。他の見物人でも祝儀さえ渡せばだれでも載せて
くれる。


クダレンゴンやクダシラッを演じる馬たちはたいてい、血統の不明なありふれた馬だ。血
統が問題にされる競走馬をこのような役者馬にする人間はまずいないだろう。調教師は氏
素性の明らかでない馬を相手にして、じっくりと手塩にかけて芸を仕込んでいく。

馬にも、頭の良いのや悪いのがおり、また根性がまっすぐな者もいればひねくれた者もい
る。しかし、調教師は頭の悪いのやひねくれ者をも受け入れて、根気よく芸を仕込んでい
くのである。そこでは、馬の良し悪しよりも、調教師の忍耐力と才能が評価の対象になる
のだ。調教師は毎日毎日、ただただ忍の一字を心に刻んで、馬に芸の訓練をしているそう
だ。


スムダン地方の馬は元々、上流支配層が自分の領地を見回る際の交通機関の役割が強かっ
た。1882年から1919年までスムダン県令を務めたパゲラン・アリア・スリアアッ
マジャはスンバワとスンバから多数の馬を取り寄せ、スムダンの地元馬の改良を行ったば
かりか、領主である支配層に馬を増やすように勧めた。その結果、スムダン馬の数は数百
頭に増加した。

上流支配層はジャワでプリアイpriayiと呼ばれている階層であり、スンダ・バンテン地方
では同じ意味でメナッmenakという言葉が使われる。メナッ階層に属すひとびとはたいて
いRaden, Raden Tumenggung, Dipati, Tubagus, Ratuなどの称号を名前に付ける。そんな
言葉が名前の前に付けられていれば、そのひとは王族貴族階層の子孫と見てまちがいない
だろう。

2007年から2014年までバンテン州知事を務めてインドネシア初の女性州知事の栄
誉を獲得したラトゥ・アトゥッ・ホイシヤ氏はメナッ階層を出自にしている。かの女は二
期目の州知事任期の半ばに汚職疑惑で摘発され、有罪が確定して罷免された。かつてジャ
カルタで、わたしの隣人にトゥバグス・ハルナという名のひとがいたが、かれもメナッ階
層の子孫だ。[ 続く ]