「ジャワ島の料理(5)」(2021年11月10日)

ジャワのウェダンには、ゴミウェダンという名のレシピがある。wedang uwuhのウウッは
ゴミという意味だ。このゴミウェダンの誕生にマタラムの王様スルタンアグンが関わって
いるという話がある。

ヤン・ピーテルスゾーン・クーンVOC第4代総督が作ったバタヴィアを陥落させようと
して1628年と29年に二度の大軍事攻勢をかけたあのスルタンアグンがゴミウェダン
の発祥に関わったという話がこれだ。

何年のことかよくわからないが、スルタンはしばしばイモギリを訪れて瞑想した。どうや
らそのころ、イモギリにマタラム王家の墓地を設ける構想を練っていたようだ。

スルタンは瞑想を始める前にウェダンスチャンを飲むのを習慣にしていた。瞑想を終えた
ときも同じだ。その日、スルタンが瞑想を終えたのを見て食事係の付き人はすぐにウェダ
ンを作った。給仕係がそれをスルタンに届けようと厨房小屋を出たとき、強い風が周囲の
木の葉を散らせた。王宮の中ではないのだから、厨房小屋の外は野ざらしであり、飛び交
うゴミや埃が容赦なくウェダンの器に飛び込んだ。給仕係は顔色を変えて小屋に戻り、食
事係と相談した。

「作り直している暇はない。それをスルタンにさしあげろ。お叱りはこのわたしが受ける。」
食事係にそう言われた給仕係は素知らぬ顔でスルタンにウェダンを差し出す。それを飲ん
だスルタンは不思議そうな顔をした。給仕係は雷が落ちることを予期して首をすくめた。

ところが怒声は聞こえず、じっくり味わいながら数回に分けて赤い液体を飲むスルタンの
喉の音が聞こえるばかり。飲み終えたスルタンは食事係を呼ばせてウェダンの出来を褒め、
今後は瞑想を終えた時のウェダンにこれを出すように、と命じた。

いつもと同じように作ったウェダンにゴミが入り、スルタンはそれを今後必ず作れ、と言
う。食事係は今後、そのゴミを同じように入れなければならないことになったのである。

給仕係が下げて来たウェダンの器の中身をじっくりと調べた結果、食事係が使わなかった
ものが見つかった。クローブの葉と茎およびスレーの葉がゴミの内容だったのだ。こうし
てスルタンアグンが愛飲したそのウェダンにウェダンウウッという名が付けられた。

現代人が飲むウェダンが一見してゴミを煎じているように見えるからその名がつけられた
と誤解している方がいらっしゃるように見受けられる。それは鉋の削りくずや未加工スパ
イスがそのまま煎じられるのを日本的感覚で眺めた時の印象でしかあるまい。たくさんあ
るウェダンのレシピがすべて同じような方法で作られているのだから、その理由付けであ
ればウェダンはすべてゴミウェダンと呼ばれることになるのが自然だ。しかしゴミウェダ
ンとは数あるレシピの中のひとつでしかないのである。インドネシア共和国が綴り字の改
定を行うまで、ソロの王宮でそれはwedang oewoehと綴られていた。


Gudegはヨグヤカルタのアイコン料理であり、ヨグヤカルタの町に入れば、至るところに
グドゥッの看板を掲げた食堂を見出すことができる。老舗とされている店も何軒かあるが、
それらの店はたいてい混んでいて、待たされることが多い。

老舗中の老舗として人口に膾炙していたのは1925年にヨグヤ市内に開店したGudeg Bu 
Tjitroだ。この店は1960年代にジャカルタに支店を出した。わたしが初めてグドゥッ
を味わったのは、1970年代のジャカルタはクバヨランバルのチカジャン通りにあった
ブチトロの店だった。90年代にその店を再訪したときには、20年前の盛況はなくなっ
ていた。その後しばらくして、チカジャン通りのその店がなくなっていることを知った。
2013年のネットの書き込みに、クバヨランバルのブロッケスBlok Sにチカジャン通り
の店が移ったという情報が見られる。

若いナンカの実をチークの葉やスパイス類を加えたココナツミルクとヤシ砂糖で何時間も
煮込んだものがグドゥッの主菜だ。goriと呼ばれている白っぽいその実が濃い茶色になる
まで煮込まれる。ゴリはその前に摂氏百度の熱湯の中で24時間茹でられているそうで、
その手間暇はミナンのルンダン同様に、驚嘆に値する。[ 続く ]