「ジャワ島の料理(10)」(2021年11月17日)

その日、クリスティナワティさんがチャブッランバッを買ったのは衣服売場の通路だった。
販売者はひとがひっきりなしに往来している通路で商品を売っている。時に荷物運び人が
大きな荷物を持ってやってくると、通行している客はそれを通してやるために身体を弓な
りにそらして辺りの商品の上に覆いかぶさらなければならない。そんな狭い空間の中でク
リスティナワティさんは食べ物を手にしながら、立ったままノスタルジーを味わうのであ
る。


ヒンドゥマタラム王国の時代からパサルは、さまざまな商品を売買する場所であると同時
に、ひとびとが集まって社会交際を行い、また情報交換をする場所でもあった。おのずと
飲食品を売る販売者がたくさん集まって来て市の中を埋めた。1042年から1222年
まで続いたクディリ王国の文筆家ンプ・モナグノが書き残したカカウィンスモノサントコ
Sumanasantakaには、大勢の飲食品物売りが市場で商売していた様子が描かれている。物
売りは朝まだ暗いうちから忙しく且つ慌しく自分の商う飲食品を作って、市場に運んで行
くのである。

ガジャマダ大学伝統食品研究センター研究者は古代のパサルについて、扱われた商品は牛
や水牛などの大型家畜、金属製農具、芋類、スパイス類がメインを占めていたように思わ
れると語る。つまりパサルにおけるビジネスの中で飲食品はまったくのマイノリティだっ
たということらしい。

古代ジャワ人の食生活は一般に、自分の家の周囲で穫れるものを家で調理して食べるのが
標準的な生活スタイルだったそうだ。パサルへ行く目的は家畜・農具・スパイスなどを買
うことが第一義であって、食事は家で済ませてからパサルへ行くのだから、大勢の住民が
市場に集まって飲み食いしながら駄弁りあうような暮らし方は一般的でなかったのだろう。
ジャワで、そのようなライフスタイルは庶民の経済状態がもっと向上したあとに出現した。

歴史学者によれば、ヨグヤカルタとソロの伝統市場における飲食ワルンの発展は、農園ビ
ジネスが地域に好況をもたらした後で起こった現象だそうだ。その時期にソロ市内で経済
発展の枢軸地域になったのがパサルグデ地区とクプラボンKeprabon地区で、以前は飲食店
のあまりなかったそれらの地区に飲食ワルンが雨後のタケノコのように出現した。どうや
ら現代語の繁華街という言葉のイメージは、古い昔のジャワ人の生活の中ではきわめて稀
なものだったのかもしれない。


ソロで庶民に人気のある肉料理にtengklengがある。これはソロで生まれた料理だと言わ
れていて、主素材はカンビンの骨とテテランが使われる。王宮のあるソロでは、カンビン
の肉は王族貴族とオランダ人トアンたちの口に入り、頭や脚の骨や腱などだけが厨房に残
された。料理人や使用人たちは上流階層が見向きもしない素材を使って、美味い物作りに
知恵をしぼり、種々のスパイスを用いてグライのようなスープを生み出した。ただしトゥ
ンクレンはグライより薄いスープになっている。また煮詰めて汁気をほとんどなくしたト
ゥンクレンもある。

現代のソロで庶民層のカンプンへ行くと、夜にトゥンクレンの屋台が店開きする。屋台で
使われる食材は昼の間に手が加えられる。カンビンの骨からテテランや軟骨が取り分けら
れ、頭からは舌・眼・耳・脳みそなどが外されてバチュムにされる。ある屋台の店主はバ
チュムの料理法を、赤バワン・スレー・サラム葉・ナンキョウ・ショウガ・ヤシ砂糖・ラ
イムと一緒に煮込むと語っている。二時間ほど煮込んで柔らかくなった食材の水気を落と
しておき、客が注文すると一度油で炒めてから細切れにして、トウガラシ・サラム葉・ナ
ンキョウ・スレー・ショウガ・コブミカンとヤシ砂糖で作ったブンブ汁を添えて供する。
客は熱いbacemanをその汁に浸けて食べるのである。バチュマンはトゥンクレンの副産物
と言えるにちがいあるまい。

その昔、カンビンの頭はだれも食べ物と考えなかったから、すべて捨てられていたそうだ。
それを種々のスパイスを使って食欲をそそる食べ物に仕立てた人間がいたのである。バチ
ュマンの素材を知れば目を回すひとが出るかもしれないが、その香りだけを嗅げばおいし
い肉料理の印象がかれやかの女の食欲を湧き立たせずにはおかないだろう。[ 続く ]