「ヌサンタラの馬車(7)」(2021年12月07日)

ドカルという名称は英語のdogcartに由来するという説明があちこちに出ている。英語ウ
ィキによれば、元々dogcartは狩猟のためのレトリバー犬を運ぶために使われた軽量馬車
だったことからそう名付けられた。犬が引くカートだったわけではないようだ。

イギリスでは二輪の車体を馬一頭で引いたが、オランダでは二輪車体を馬二頭で引いた。
フランスでは四輪の車体だった。そしてそれらのいずれもが、乗客を背中合わせに座らせ
る構造になっていた。dogcartを画像検索してみると、確かに無蓋の車体の上で乗客は背
中合わせで座っている。

一方dokarの画像検索では、馬一頭が二輪車体を引いているものばかり出て来るのだが、
客の座席が左右に設けられていて、乗客は対面する形で座るのがほとんどのようだ。だか
ら形態としては一致しておらず、あくまでもドカルとdogcartは名称に関する関連性を持
っているだけと考えるべきなのだろう。


ドカルはジャワ文化の産物であり、ジャワ島内で一般的な馬車とされている。中部ジャワ
州サラティガは小さい町だ。市内には郡が四つしかなく、市内を北から南に縦断している
国道は14キロメートルしかない。そんな小さい街を植民地時代からドカルがたくさん走
り回っていた。

1917年に市制が敷かれてからは、この地方におけるサラティガの重要度が高まったた
めに交通機関の重要性が増加し、ドカルがドカッと増えた。自動車がまだサラティガにな
かった時代、ひとびとは遠距離を旅する場合に必ず鉄道を使ったため、サラティガに鉄道
でやってきたひとは駅からドカルで市内に向かい、反対に市内から鉄道駅へもドカルで向
かった。客を乗せて運ぶ道路交通機関として唯一の存在だったから、市内の運送ばかりか、
スマランやボヨラリあるいは近隣の別の町への運送も行った。

市内を走る馬車は乗合タクシーのようなものだったので、行く先の異なる客を定員いっぱ
いに乗せてから、あちこちを巡回して客を下ろすというスタイルの運行をした。サラティ
ガ在住のオランダ人はとてもそんな悠長な乗り方をする気がなく、プリブミと一緒に乗ろ
うとはしないで馬車を借り切った。

面白いことに、オランダ人のご主人が朝ドカルを呼んでどこかへ出かけたとき、料金の支
払いはその家の奥方がするため、御者は送った後でまたその家まで行かなければならなか
った。多分、ご主人が先方に無事に着いたかどうかを奥方が確認したいためにそのような
ことをしていたのではないかというのが歴史家の推測だが、本当にご主人が言った通りの
場所へ行ったのかどうかも確認できるから、目的が単一ということでもなかったのではあ
るまいか。


共和国独立後もドカルは有力な交通機関としてサラティガの市内で隆盛を誇った。197
0年代になってバスの運行が始まっても、馬車は使われ続けた。サラティガからスマラン
県クンプレジョの親戚の家へ行くのに、一族の6人がドカルに乗り込み、山道を走って親
戚の家の門前まで送ってくれた、と70年代に子供時代を送った市民のひとりは語ってい
る。

1990年代に市内で営業しているドカルの御者が組合を設けたとき、組合員になった人
数が3百人超いたことから、往時の盛況の規模がそのように把握されている。だがそれは
市内を乗合小型バスのangkot (angkutan kota)が縦横に走るようになったあとの状況であ
り、そんな状況の変化が起こる前に何台のドカルがサラティガの町中を走っていたのかは
想像がつかない。

その昔、1991年にサラティガのとある大学で卒業式の一環にドカルを285台チャー
ターして市内を練り歩いたことがあった。1994年6月には、陸軍戦略予備軍第411
/612歩兵大隊創設27周年記念日のパレードが催され、多数のドカルも参加して賑わ
いを盛り上げた。今そんな数の馬車をそろえようとしても、絶対に不可能だろう。
[ 続く ]