「ジャワ島の料理(29)」(2021年12月14日)

ロシアナさんは19歳のとき、海の向こうの南カリマンタン州バラバイに渡ってプチュル
ワルンを始めた。そのプチュルは言うまでもなくプチュレレのプチュルであり、ナシプチ
ュルではない。メニューはナマズだけでなく、ニワトリ・アヒル・卵などのバリエーショ
ンを持たせている。

日常の食事だから廉いし、大勢が食べに来る。ロシアナさんは三年間で故郷の家を建て直
す資金を貯め、建て直しを開始した。建て直しが終わるまで、バラバイから何度も進行状
況をチェックしに帰郷している。

同じパティハン村から出て、中部カリマンタン州北バリト県ムアラテウェをランタウの地
に定めて食べ物ワルン事業を営んだアフィズさんも、成功者のひとりだ。かれは親の住居
を建て直して御殿にし、トヨタアヴァンザを買い、4億ルピアで土地を買った。最初はカ
リマンタンへ渡るのに毎回船を使っていたが、成功者になって故郷との往復が頻繁になる
と、渡海は飛行機を使うようになった。かれは高卒でランタウし、三年後には故郷に成功
者としての顔を示すようになったのである。

そんなふたりの大先輩にあたるスアイブさんはもう老齢になっているが、かれも長年南カ
リマンタン州アムンタイで苦労を積み重ね、住宅用に1,450平米の土地を買って豪邸
を三軒建て、1.2Haの水田を有し、四輪と二輪の自家用車を持ち、メッカ巡礼も済ませ
ている。


同郷の者がラモガンの食を売り物にしてランタウし、成功者になって故郷に錦を飾る姿を
目にすれば、同じ村の住民はじっとしていられない。その真似をするなら、成功者に雇っ
てもらって仕事の仕方から成功するコツまで、身近に観察するのが一番だ。こうして、パ
ティハン村もシマン村も、あるいはその他の豊かでない村々も、出稼ぎ者の数が激増した。
村の中では老人と子供が目立つようになり、空き家が増え、水田も遊休地が増加した。

村民の6割が出稼ぎに出ている村や、8割がランタウした村などがラモガン県の地方部で
当たり前になった。住人のいない邸宅は親戚の者が朝夕やってきて家屋外部の照明を点灯
しまた消灯する。ガレージにある自家用車は朝夕アイドリングを行い、あとはシートをか
ぶせっぱなし。耕作地を遊ばせておくのはもったいないから、中部ジャワ州グロボガンや
ウォノギリの土地を持たない農民を呼んで来て、空き家に住まわせ、土地を耕作してもら
うようなことまでしている。

水田を持っているランタウ成功者たちは、自分で自分の耕作地をたがやす気はまったくな
いと言う。かれらの父親はたいていが農民だった。その農民がわが子に向かって、「農業
やクーリー仕事をするよりも、商売する方がよい。」と脱農民を勧めたのである。農業は
リスクが大きく、しかもかける費用とエネルギーに対して収入のバランスが良くない。昔
は自分たちが食う分だけできればそれで良かったが、今では子供の学校やケータイ電話な
どの出費が不可欠になっていて、収穫だけに頼っていては世間並みの暮らしをするのが困
難になっている。農業よりも商売をする方が、金持ちになれるチャンスは大きい。

こうしてソトラモガンとプチュレレラモガンの食べ物商売が農民人口を減らしてしまった。
かつての貧困農村は、ランタウ成金の村に変質したのだ。これもプチュレレのおかげと言
えるだろう。


スラバヤの代表料理と言えば、きっとrawonの名前を多くのひとが挙げるだろう。このさ
まざまなスパイスの入った真っ黒な牛肉スープは、英語でブラックスープと呼ばれている。
黒色はスパイスの一つクルワッが作り出す。

このスープのブンブは赤バワン・ニンニク・ナンキョウ・コリアンダー・ククイ・スレー
・ウコン・トウガラシ・クルワッ・塩・植物油から成っている。それらはまずすり潰して
から香りが出るまで炒め、先に作っておいた牛のだし汁に牛肉と一緒に入れて熱する。

たいてい、白飯のおかずとしてこのスープが食される。そのとき更に、モヤシ・塩漬けア
ヒル卵・ネギ葉・牛肉炒め・エビのクルプッ・サンバルなどが一緒に供される。[ 続く ]