「ヌサンタラの馬車(13)」(2021年12月15日)

ジャワの家父長制文化の中で、satriaとしての男が持たねばならない5条件は家wisma・
女wanita・馬turangga・クリスpusaka・鳥kukilaとされている。サトリオというジャワ語
は一般庶民の上位にあるプリアイ階層のことであり、戦時には庶民兵を統率する部隊長の
役割を果たすべきひとびとだった。だから馬を持って馬に乗ることは当たり前のたしなみ
であり、馬を熟知して駆使する術を深く身に付けていなければならなかったのである。

そんなプリアイが馬にまたがらずに馬車に乗って出かけるのが普通になれば、プリアイの
5条件から馬が脱落してしまう。馬車がプリアイ層に一般化したことは、それまで保たれ
ていたプリアイの社会的地位と意味合いがそれによって崩壊する未来を暗示していたと見
ることができるのかもしれない。


今では、ヨグヤカルタでも馬車は民衆の交通機関から観光客用の乗り物に変化した。しか
しヨグヤ周辺の村落部では、いまだに交通機関として機能しているものもある。ヨグヤカ
ルタ市内の観光アンドンターミナルはマリオボロ通り・ブリンハルジョ市場・北アルナル
ンalun-alun・ヨグヤ王宮・南アルナルンの5カ所で、それらは北から南へ一直線に並ん
でいる。

王宮は観光アンドンと一般交通機関としてのアンドンを外見で区別できるよう民衆を指導
したことがある。観光用は車体を黄色、御者はオレンジ色の制服を着用し、一般交通機関
用は車体が緑色で御者はブルーの制服、荷物運搬用は車体が茶色で御者は黒い制服を着る
ように定められたものの、なかなか徹底しなかった。利用者が激減してしまった昨今、王
宮が言うようなアンドンの使い方を限定してしまうことなど、御者たちにできようはずが
あるまい。観光客であれ、住民がパサルへ行くのであれ、あるいは荷物の運搬をオーダー
されたとしても、御者はそのすべてを受けなければ十分な収入が得られないのだから。

1990年の調査で、ヨグヤカルタにあるアンドンは7百台と報告された。しかし収入の
激減と馬の維持費用のアンバランスに大勢のアンドン業者が悲鳴をあげ、アンドンと馬を
売り払って転業する結果になった。そのころ、ジャカルタ都庁がモナス公園の観光馬車と
して50台のアンドンを馬とセットでヨグヤカルタから購入したこともある。


今も生き残って運送業に従事しているアンドンの持ち主たちは、自分のアンドンがたどっ
た長い歴史に鑑みて、同じように祖先からの伝来物で魔力を持つとされているクリスとア
ンドンを同一視している。かれらはアンドンをwesi ajiだと言う。ウシアジとは魔力を持
つクリスのことだ。

かれらのアンドンは新しいもので50年、古いものは百年を超えている。バントゥル県セ
ウォン郡タンジュン村に住むパルヨノさん41歳は、自分のアンドンの年齢はほぼ2百歳
だ、と言う。曾祖父の代からアンドンを家業にしてきた。「こりゃあ、ウシアジなんです
よ。傷んだところは治すけど、どこかをいじくって変えるようなことは一切しません。先
祖代々伝わった遺産なんで、何があってもひとに売るようなこともしません。」

パルヨノさんはウシアジのアンドンを定期的にチェックしている。すべて分解して点検し、
また組み立て直すのだ。いや馬車だけでなく、馬に着せたり装着したりするものも、細か
く点検するのである。

パルヨノさんのアンドンは確かに、一般的に路上を走っているものと少し違っている。車
体の柱はたいていステンレス製なのに、かれのものは真鍮メッキされた鉄製だ。後輪の車
軸も大きめであり、車輪のスポークは硬いチーク材になっていて、一見ごつい印象を見せ
ている。削り出しの技術が進歩したために、新しいものはだいたい細目に仕上げられてい
るからだそうだ。

パルヨノさんはほとんど毎日、バントゥルからヨグヤ市内に観光客を求めて進出し、夜に
自宅に戻る。ジョグジャの観光馬車は定価がない。御者たちは払いたい金額を払ってくれ
ればよい、と客に言う。それをありがたく受け取るだけだ。金額の苦情など言わない。

パルヨノさんは一年に一度、ウシアジであるアンドンにお供えをするそうだ。魔力を持つ
クリスは持ち主がみんな、年に一度お浄めとお供えを行っている。[ 続く ]