「ジャワ島の料理(32)」(2021年12月17日)

プティスは甘しょっぱく、少し苦みがある。スラバヤのルジャッチ~グル、シドアルジョ
のロントンクパン、ウォノクロモのロントンバラップ、ラモ~ガンのタフチャンプル・タ
フテッ・タフトゥロールなどはプティスが不可欠であり、ソースとして皿に置かれるとき
にはたいてい炒めたニンニクが混ぜられる。

プティスは真っ黒であればあるほど美味いと言われていて、色合いが品質評価の手がかり
にされている。ワルン店主たちは茶色っぽいプティスを使わない。シドアルジョ産のプテ
ィスが最高品質とされている。ワルン店主たちは一級品質のものを卓上用に使い、料理の
中で使うプティスは二級品質のものを使う。料理の中で使われる場合は料理と一体化させ
るために調理場でさらに手が加えられるから、プティスは素材としてのクオリティで良い
ということなのだろう。


マドゥラ島の料理と言えば、ソトマドゥラを思い出すのではあるまいか。ところが例によ
って、マドゥラ島でソトマドゥラを探しても見つからない。マドゥラではどこにでもソト
があるが、ソトマドゥラと銘打ったものが存在しないということだ。

マドゥラ人はみんなソトを作る。そのソトはみんながわが家の味として作るから、少しず
つどこかが違っていて、同じ味にならない。つまりマドゥラの味という標準化が不可能で
あることをそれは意味していると言えよう。そんな土地で、われこそはマドゥラの味だと
いう看板を出したところで、地元民はだれも相手にしてくれない。結局、島外で店を出す
ときにソトマドゥラという名称が使われるようになったというのがその背景らしい。つま
りジャカルタにあるソトマドゥラのワルンを巡っても、大枠では違っていないものの、風
味はそれぞれが異なっているということになりそうだ。


マドゥラの文化人、エディ・スティアワン氏はこう語っている。「ソトマドゥラとして全
マドゥラ人が同意するソトの特定バージョンはいまだかつてあったためしがない。ソトマ
ドゥラという名称はマドゥラ人が島外でソトを商売にするときに使う言葉であって、マド
ゥラで食べられているソトのひとつがこれだということを述べているにすぎない。」

1970年代にスラバヤで、ソトマドゥラという名で売られていたソトに臓物のたくさん
入ったソトスルンのようなものがあった。ところがマドゥラでそのようなソトはまったく
作られていなかったのである。スラバヤに住むマドゥラ人が考案したものだったらしい。
しかし臓物が高コレステロールと認識されてからは、ソトラモガンに取って代わられた。
別のマドゥラ文化人、ザワウィ・イムロン氏はこう語る。

マドゥラで作られているソトのバリエーションの豊富さは、マドゥラの食風土が多様性に
富んでいることを示している。各地で作られるものはスパイスや調理法がだいたい似通っ
ているのだが、細かい点に違いが出て来る。

たとえばマドゥラ人の婚礼の祝宴メニューはだいたい同じ内容だ。ところがある地方の住
民はスパイスの風味を好むために、スパイスが強調された料理になる傾向を持つ。別の地
方では肉がたっぷり入っている料理を好む。そんなひとびとが婚礼の祝宴に集まって同じ
料理を食べる。当然ながら相手方の料理のコメントが出て来る。
「あの地方へ行くと、スパイスばかり食わされて、肉を食べた気がしない。」
「あの地方へ行くと、全然スパイス気のない肉ばかり食べさせられる。」


マドゥラ文化の性格は、土地と歴史が作り上げたものだ。マドゥラ島のほとんどは石灰岩
の土地と丘陵であり、中央高原部はまったくの不毛の地だった。南海岸部にできたいくつ
かの王国は北に伸びることをせず、また陸路を作って同じ南海岸を別の王国とつながるこ
ともなく、マドゥラ海峡の対岸にあるジャワ島北海岸部と船でつながった。

Bangkalanはスラバヤとつながり、Sampangはパスルアンやプロボリンゴと、Pamekasanは
プロボリンゴやブスキと、Sumenepはプロボリンゴ・ブスキ・パマヌカンとつながった。

18世紀のマドゥラ人は、陸路を通って島内を旅することをせず、かれらが自分の故郷か
ら外へ出るのは舟で海を渡ってジャワへ行くためであるのが普通だった。マドゥラ島東端
のスムヌップに至っては、バンカランやサンパンの方がプロボリンゴやパマヌカンよりも
はるかに物理的心理的に遠い位置にあったのである。[ 続く ]