「ジャワ島の料理(38)」(2021年12月27日)

プロボリンゴ市内ガルーダ映画館跡地の壁に添った場所にクタンクラトッを専門に販売し
ている屋台がある。この屋台はいわゆるグロバッカキリマの周囲に木製ベンチを並べた形
態であり、ヨグヤ風に言えばアンクリガンになるのだろうが、プロボリンゴではワルンと
呼ばれている。

ワルンクタンクラトッは市内のあちこちにあるのだが、アルバイさんとヌヌンさんの夫婦
が営業しているこのワルンは雰囲気の良さで人気がある。クタンクラトッは朝の食べ物だ
から、このワルンは午前4時から11時まで営業する。そこに早朝から常連客が集まって
来て、朝食代わりのこの甘い飯を食べながらマドゥラ語で世間話をするのである。まあ朝
食と言っても、1〜2時間後に甘くない本当の朝食を食べているのだろうから、朝の一腹
と言うべきかもしれないが。客層はさまざまだ。若者から老齢者、会社勤めから事業家ま
で、実に多岐にわたっている。

たいてい午前7時ごろには品切れになって店を閉めることが多い。プロボリンゴは太陽が
まだ低いうちはしのぎやすいものの、空高く昇り始めると灼熱の太陽に照らされて炒りた
てられ、その暑熱が一日中夜中まで続くために、朝の涼がたいへんな価値を持っている。
朝一番の甘い食はきっと、その価値をさらに高めるためのご馳走なのだろう。


クタンクラトッを作るとき、ヌヌンさんは皮をむいたクラトッを一度茹でて沸騰させる。
沸騰したら一度火から下ろして冷まし、その後5回それを繰り返す。そうしてはじめて、
モチ米と混ぜて蒸すのである。加熱は必ず薪の炉を使う。クタンクラトッはそうすること
でおいしくなるのだと確信を持って言う。

豆をそんなに何回も煮立たせるのは、豆の毒性を完全に抜くためだそうだ。安全でない料
理の仕方をすると、食べたひとがまるで酔っ払いのように、頭痛やめまいに襲われること
がある。だから少なくとも6回は茹でなければならない、とヌヌンさんは言う。


このクタンクラトッはマドゥラの農業文化に由来している。クラトッ豆は昔からマドゥラ
人のスナックになっていた。耕作地の地主は農地の作業に来た農業労働者に早朝、まずク
ラトッ豆を与えて腹の足しにさせ、10時ごろになってから飯の付いた朝食を作業現場に
届けていた。その食習慣がクタンクラトッに結実したのだというのが、プロボリンゴのワ
ルンで耳にした由来話だった。

地主だけでなく、共同体構成員が家を建てるときのゴトンロヨンでも、施主がクラトッ豆
をみんなにおやつとして振舞うのは常識になっていた。マドゥラ人にとってクラトッ豆は
ノスタルジーの源泉になっているのかもしれない。


ジャワ島東端から西へ飛ぶと、西ジャワと中部ジャワの州境近くにチルボンがある。この
町は西ジャワの歴史の中で特異な役割を果たしてきた。この町の名の由来はci+rebonで
あり、スンダ語でチは水を意味するcaiの短縮形、ルボンは小エビを意味している。昔か
らチルボンの海で小エビが大量に獲れたことから、エビの町kota udangという異名が付け
られた。

西ジャワの地名にはciで始まるものがたくさんある。水は冷たいことからciの語が民生の
平穏と安定を願って付けられたのだ、というヌサンタラ哲学の解説をしばしば目にする。
インドネシア語のpanasは熱いdinginは冷たい、というのがメインの語義なのだが、熱を
帯びる状況というのは関わっている人間がたいてい興奮するために起こるのであり、その
ときに現場では落ち着きや冷静さが失われ、事態が荒れやすくなり、秩序が不安定になる。
インドネシア人はそんな状況をパナスだと形容する。ディギンはその正反対の状況であり、
関わっているひとびとがみんな冷静にものごとを観察して合理的な判断を下すために世の
中は理知的且つ円滑に機能して、平穏と秩序が保たれるのである。[ 続く ]