「ジャワ島の料理(42)」(2021年12月31日)

何百年にもわたって小エビがいつでも山のように獲れていたチルボンの海がただの汚れた
海水に変わってしまったのはいつのことだったろうか?2018年2月のコンパス紙記事
はその挽歌をたっぷりとわれわれに聞かせてくれる。

サマディクン漁村に自分の小舟を置いているミスカッさん59歳はチルボン市民だ。その
日かれは夜明け前から小エビ漁をしに海に出た。しかし手に入ったのはわずか1キロ。こ
れでは4万ルピアにしかならない。船外機のガソリン代にもならない大赤字だ。かれは昔
の良き時代を回顧して物語る。

1980年代ごろまでは、西風の季節が終わる3月が来る前なら、全長7キロメートルほ
どのチルボン市の海岸線ではあっちにもこっちにも小エビの大群がいた。夜明け前から正
午くらいまで仕事をすれば80キロは獲れた。あのころは船外機を積んでる船はまだまだ
珍しかった。みんな近場での漁で済んでいたのだから。

エビの値段も高かった。普通の魚が種類によってキロ4百から1千5百ルピアくらいだっ
たのに比べて、エビはキロ当たり2万ルピアもした。獲れたエビは輸出に回されたんだ。
エビがそんなに高かったものだから、チルボン市外のチルボン県やインドラマユ県、更に
中部ジャワの海岸部の漁師たちがみんなチルボンの海にエビを採りにやってきた。競争し
て採りあうために、いろんな道具が使われた。

チルボン市の漁民はみんな網の目が1.5インチのものを使っていたが、外から来た連中
は1インチより小さいものまで使ってたくさん獲ろうとした。エビの稚魚から子供の魚ま
でが網に掛けられた。沿岸部ばかりか、沖の海底までさらおうとしたために、貝や牡蠣の
ハビタットまで荒らされてしまった。おかげで今では、漁をしに海に出ても採れるのは海
の生き物でなく、家庭ごみ・プラスチックごみ・使い捨ておむつばかりだ。エビを獲りに
行っても、ゴミばかりが採れる。チルボン市の海だけでなく、そんな状況はサマディクン
・プシシル・ボンデッ・ロサリの一帯にまで広がっている。


チルボン市内プシシルPesisir村の漁師カルタムさん44歳は、エビ獲りを三年前にやめ
た。もう沿岸部にエビはいない。エビを探すには5時間以上かけて沖に出なければならな
いが、そんな漁をするためには150万ルピアの経費がかかる。

2000年代に入って数年間は、まだ沿海部でエビが獲れた。うまくエビの季節に出会え
ば、1千万ルピアの水揚げも珍しくなかった。「あのころ、海はまだ青かった。」とカル
タムさんは自宅から50メートルほど先の海を指さして言った。今、プシシル村にある河
口の海水は真っ黒だ。その河口はチルボン港と隣り合っている。チルボン港ではここ数年、
石炭荷役が盛んに行われている。


小エビ、つまりルボンは今でも、西風の季節に入ってから3〜4カ月間は見つけ出すこと
ができる。チルボン市に住む漁師たちにとってルボンは依然として重要な産物なのだ。

漁師の妻はみんなトラシを作る。漁師の家庭で作られたトラシは素材がルボンだから人気
が高い。魚を混ぜたものは純粋のエビトラシよりも品質が劣る。トラシの価格はキロ当た
り6万ルピアで、相変わらずチルボン名物として名高い土産物になっている。

チルボンの海におけるルボンの激減は市当局の生産データにも示されている。2008年
のエビ生産は196トンだった。2014年は112.5トン、2015年は79.4ト
ン、そしてその後はエビの項目が立てられなくなったから、数値の把握は不可能になって
いる。

面白いことに、チルボンにおけるトラシ生産は最初から今日まで、民衆による小規模生産
で支えられて来た。ある規模感を持った生産者の出現はほとんどなかったのである。県当
局によれば、現在あるのは一社だけだそうだ。そして今、民衆のトラシ生産は幕を閉じよ
うとしている。エビの町チルボンの土産物店に並べられているチルボン特産商品エビのト
ラシは、インドラマユ県の生産品になっているのだ。[ 続く ]