「ハローか、ヘローか?(後)」(2022年01月07日)

それをドイツ人が取り込んでhalloにし、それがオランダ人に模倣され、ドイツ人やオラ
ンダ人の真似をするのが嫌なイギリス人はちょっと音をひねってhelloと言うようになっ
たのかもしれない。

ティヴァダル・プシュカシュ氏が発端なのか、エジソンのハンガリー人助手が発端なのか
は別にして、世界のたくさんの国でそれが習慣化したのは、いったいどのような力学がそ
こにからんだためなのだろうか?


スラカルタ国立イスラム教学院のエディ・サルワント氏は、世界中の人間の間で知らない
ひとのほとんどいない言葉であるハロー/へローについて、最初の機能だった発話時の開
始サインからさまざまな質的変化が生じたと書いている。

自分の電話を受けた相手の認知が「ハロー」と語る声で行われる。あるいは、音調や喋り
方を変化させて相手に特定の意味を感じさせる。通話の相手に疎外感を与えることすらな
される。そういった二重機能はどんな言葉にも応用できるが、相手の顔が見えない電話と
いう特殊な状況の中での二重機能はまた一風異なるものになるのである。

ポピュラー音楽の歌詞に使われた場合、こんなものにもなる。たとえばリタ・スギアルト
がヒットさせたHalo Dangdut!では、こんな歌詞が唄われる。Hallo...hallo...hallo...
Yang...yang...yang...Digoyang-yang. Dut...dut...dut...Yuk kita berdangdut
ここではハローが「一緒にジョゲッしようよ」という誘い掛けの言葉になっている。

あるいは米国のグループバンドのひとつコモドアーズのリード歌手ライオネル・リッチー
が唄ったHelloと題する曲の中では、挨拶でなく、アイデンティティ認知のためでもない
helloが出現する。その言葉は歌い手の心を相手に投げかけて確認する行為に使われてい
るのだ。Is it me you are looking for?


ハローが電話を受けた者にとって禁句にされたとき、興味深い事態が発生した。いくつか
の民間企業・研究所・政府機関などで実際に起こったことだ。いったい何がどうしたと言
うのか、電話の受け手が送話者にハローと言うのは送話者を疎外しているという話が巻き
起こった。そんな他人に優しくないことをすると、われわれのこの組織は電話をかけてき
た外部者に悪印象を与えることになる。

われわれの組織に用があって電話をかけて来たひとに対しては、あなたからのこの電話を
受けていかにわれわれは喜んでいるかということを示さなければならないのであって、ハ
ローなどという言葉を言って電話をかけて来たひとを疎外するとはもってのほかである。
今後そんなことを行う社員には罰や制裁を与えることにするぞ。会社側は組織を汚す社員
に対して、戒告・減給・解雇も辞さない!


テクノロジーによる単なる一個の発明が広範なスペースを占める言語ロジックの世界にま
で関りを持ち、地理的人種的なすべての境界線を突破してしまったのは驚くべきことだ。
さまざまな語義を乗り越えたその言葉はまるで、すべての意味に向かって開け放たれた言
語の家の趣を見せている。あなたがその言葉を口にする時、あなたはどんな意味をそこに
注入するだろうか?

それともあなたはまだそんなことに気付いていないのだろうか。ハロー、ハロー?・・・
[ 完 ]