「自転車は風の車?(13)」(2022年01月28日)

それと正反対の、正直者ベチャ引きの表彰記事もそのころ新聞に載った。都内街中で旅行
者がベチャに乗り、ホテルインドネシアまで送らせてからホテルに入って行った。しばら
くしてからベチャ引きが客席をよく見たところ、背もたれとシートの隙間に財布が挟まっ
ていた。翌朝、ベチャ引きはその財布をホテルインドネシアに届けた。ホテル側はその中
身を調べて、泊っている日本人客のひとりと判断し、すぐに連絡した。その客は前夜、財
布がなくなったと騒いでいた人物である。

フロントからの連絡で緊張した顔つきの日本人が慌しくロビーにやってきて、自分の財布
を目にして相好を崩した。かれはベチャ引きの手を握って感謝を表明し、褒美に5千ルピ
アを進呈して恩に報いたのだった。そのころの5千ルピアはコメ百キロ相当の価値があっ
た。


1978年8月には都庁センサス統計事務所がベチャ引き3百人を対象にした面談調査を
行った。かれらのベチャ運行は1日平均11.4時間で、この職業を3年以上続けること
はできないと6割の者が考えていた。体力を消費するこの仕事をそれ以上行うと、身体に
ガタが来て仕事ができなくなるとのことだ。ベチャ引きの職業病としてkencing panasと
いうものがある。ベチャ引きはサドルに座って、力を入れてペダルを漕がなければならな
い。そのときに尿道が圧迫される。それを毎日続けていると排尿に障害が起こる。

ジャカルタのベチャ引きの96%はインドラマユをメインにした西ジャワからの出稼ぎ者
とトゥガル・プカロガンを主体とする中部ジャワからの出稼ぎ者で構成されていた。そし
てかれらの二人に一人はベチャの客席で睡眠を取っていた。

ベチャ引きの1日当たりの収入は847ルピアであり、ベチャオーナーへのストランは1
日345ルピアで、支出は多めの食事量と精力剤としてのジャムゥと卵に費やされる。か
れらは月に2千から4千ルピアの貯蓄をしてジュラガンに預けている。


ベチャ事業を行っている資本家はみんな大きくない資本金でそれを行っている。そんな事
業主はたいてい、インドネシア語でjuraganと呼ばれた。ジュラガンは事業組織のボスを
意味しており、その組織で働く者は、事業主が老若男女のどれであろうが、組織の頭領を
ジュラガンと呼んだ。その短縮形ganで話し相手を呼ぶことがある。「Baiklah, Gan.」と
言うような表現だ。このガンは英語ボスの意味で使われているが、昨今ではそのものずば
りのBosの方が愛用されているように感じられる。相手は自分の雇用主でなくても、だれ
かれ構わずにそう呼ぶ。空港のポーターやタクシー運転手がわれわれに「ボス」と言って
来るようなものだ。

ジャカルタのベチャ事業のジュラガンたちは昔、華人頭家が多かったのかもしれない。資
金を持つプリブミミドル層がまだ育っていなかった時代だからだろう。しかしオルバ期に
プリブミミドル層は大躍進を遂げたのである。プリブミ小金持ちの層の厚みはオルバ期に
大幅な膨らみを示した。オルバレジームを単純に悪者にするのでなく、罪もあれば功もあ
ったことにわれわれは目を開かなければなるまい。

ジュラガンたちは普通、一台が75〜120万ルピアのベチャを2〜5台所有し、それを
運行させる人間に委ねて一日一台当たり3千5百ルピアのストランを徴収した。この項の
データは2001年のコンパス紙記事から引用している。

ジュラガンと運行者の関係は対等の立場による契約関係であり、雇用主と被雇用者という
身分関係ではない。ジュラガンは自分の資産を相手に貸して、日銭を相手から取る。その
日銭がストランと呼ばれるものなのだ。その資産、つまりベチャの運行に関わる経費はす
べて運行者の負担になる。

ベチャ運行者が日中だけの運行で契約すると、ストランは一日当たり2千5百ルピア。夜
間だけの運行で契約すれば一日当たり2千ルピアになり、ジュラガンはふたりの運行者に
ベチャ一台を使わせて一日4千5百ルピアを手に入れることになる。[ 続く ]