「自転車は風の車?(終)」(2022年01月31日)

ジュラガンは田舎から上京して来たベチャ引きに無料宿泊施設を用意している。と言って
も、狭い空間にゴザが敷かれているだけのスペースだ。そして水浴場も用意する。更にワ
ルンを用意して、コメ・タバコ・石ケンなどベチャ引きが生活に必要な品物を売る。

またベチャの修理や調整のためのベンケルも用意する。ベチャ引きがベンケルに何かを依
頼する場合、すべて有料になる。ベチャ引きの故郷の家族に怪我や病気が起こって緊急の
金が必要になったとき、ジュラガンは金貸しにもなる。

ジュラガンとベチャ引きは建前が独立個人の契約関係と見なされていても、実態ははるか
にウエットな人間関係の中にいて、まるで親族のような関係が形成され、互いに相手を必
要とする者同士の親密感が日常生活の中に築き上げられている。

ベチャ引きはジュラガンが自分を道具にして搾取しているとはまったく感じておらず、ま
るで親や兄のような気持ちで接しているし、またジュラガンはジュラガンで、ベチャ引き
を搾取しているなどとは少しも思っておらず、そのベチャ引きの収入があまりにも少なけ
ればストランを減額さえしている。


ベチャ引き稼業に身を投じた上京者の多くはそれで生きて行くことを考えるようになり、
自分のベチャを持って独立する夢を抱く。自分のベチャを持てば、毎日ストランに追われ
て気の休まる機会のあまりない身分から解放されるのである。

プルウォクルト出身のベチャ引きパイノさん32歳は、倹約生活をしていれば一年で自分
のベチャを持てるようになる、と語る。

「ベチャ引きの収入はだいたい一日に1.5〜3万ルピアだ。ストランと食費などで一日
の支出は1万ルピアくらいだから、残りは貯蓄に回せる。故郷の家族の生活費にもなりゃ
あ、自分のベチャを買う資金にもなる。」


かれらが上京してベチャ引きになるのは、金になる仕事が田舎にないからだ。中部ジャワ
州トゥガル出身のベチャ引きバシルさん41歳はこう語る。

「農業労働者にもらえる賃金は一日8千ルピアだ。しかも仕事がいつでもあるわけじゃな
い。植付け時期に田作りや畝作りをするだけであり、種が蒔かれたら、その後は施肥にし
ろ穫り入れにしろ、農業労働者が呼ばれることはない。だから年中ほとんど失業状態だ。
しかしジャカルタでベチャを引いているかぎり、田舎での生活は困らない。」

かれは故郷に自分の家を持ち、14インチのテレビを置き、子供たちを中卒にした。しか
もジャカルタのベチャは自分の物だ。故郷にいて農業労働者を続けていれば、そんな暮ら
しができるはずがない。

かれは自分のベチャ引き人生がそろそろ終わりに差し掛かっていると考えている。ベチャ
引きは一生続けられる仕事ではないのだ。かれは資金がたまったら、故郷に戻ってあひる
養殖の仕事を始める計画を立てている。ベチャ引きに比べたら体力の消耗は大違いだし、
収入も決して悪くない。


そんなベチャ引きたちの夢と生活設計を、都庁の無ベチャ政策が粉々に破壊した。198
8年ごろから強められたベチャ没収オペレーションは、都下の秩序安寧部門と行政警察が
没収部隊を編成して、都内のベチャ溜りで客待ちしているベチャに襲い掛かり、ベチャ引
きを脇に押しのけてベチャを大型トラックの荷台に放り上げる。そのようにして集められ
たベチャはジャカルタ湾に投げ込まれて魚礁にされてきたのだ。

民衆が自力で、行政から何の支援も指示ももらわずに築き上げて来たベチャのシステムは、
ジュラガン・ベチャ引き・ベンケルオーナーと技術者・製造者・ベチャ引きの生活に関わ
る諸経済活動従事者など十数万人ものジャカルタ低層庶民に生活の糧を与えて来たのであ
る。そんなベチャシステムの代替を用意することが、行政にはたしてできるのだろうか、
とトリサクティ大学教官はコメントしている。[ 完 ]