「外国語の摂取について」(2022年02月02日)

ライター: 言語警察官、インドネシア大学名誉教授、アントン・ムリヨノ
ソース: 2011年4月29日付けコンパス紙 "Kumpul Kerbau"

外国の語彙を摂取するプロセスに関して、昔の方法と現代の方法には明白な違いがある。
昔の方法は耳に聞こえた音を、もっとも近いと思われるインドネシア語の母音子音の文字
で書き写した。たとえばオランダ語のchauffeurはsopirに、winkelはbengkelに、そして
luitenantはletnanになった。

わたしの生徒が行った調査によれば、第二次大戦初期までにインドネシア語に摂取された
オランダ語の語彙は4千ほどある。それとは別に、何世紀にもわたってサンスクリット・
アラブ・中国・ポルトガル・タミール・ペルシャの諸語もインドネシア語に取り込まれた。
現代のムラユ語とインドネシア語は米国・イギリス・オーストラリアスタイルの英語を摂
取するのがもっとも盛んだ。

今やインドネシア民族は文字と情報技術の文明時代に入ったのだから、どこに住んでいよ
うがすべての民族構成員は摂取する外国語語彙を同一同様の文字の形で取り込むことが望
まれている。その発音については、各種族の文化と言語が持っている傾向に従って、地方
間で差異が生じてもかまわない。

たとえばオランダ語や英語のbusという単語の発音が、メダンではbusurやbusukに使われ
る/bu/の音になり、バンドンではbeureumやmerahのようなbeusの傾向を持ち、ヨグヤでは
"orang ngebis"と言うようにbisに近い音になるといったような違いである。
最近では英語のbuswayという言葉がよく使われるようになり、その最初の音節はbasと発
音されている。同じ単語であることを確定させるために、busという綴りが基準に置かれ
る。


1972年以来、外国の語彙の摂取はその外国語の音によるのでなく、文字の形態を基準
にするという原則が用いられてきた。英語のmanagementはmanajemenに綴りを変えて取り
込まれたものの、ヨグヤ人はパダン人と異なる発音をしている。しかし書き方、つまり
manajemenという綴りは同一だ。ただしわれわれは罰がなければ原理原則に従う義務がな
いと思うものだから、英語のbasementはいまだにbasemen(ba-se-men)という借用語になっ
ていない。aransemen, klasemen, konsumenなど既存の借用語がたくさんあるというのに。
このbesementはruang bawah tanahと翻訳できる。短縮語はrubanahだ。

ヌサンタラの地方語をインドネシア語に取り込む際にも、原理に従う姿勢は保持されなけ
ればならない。kumpul keboという表現はインドネシア語に摂取されてkumpul kerbauとい
う形になった。なぜなら、家の中に集まって一緒に住むのはジャワの水牛だけと限らない
からだ。更に、命令に逆らったり反抗する者についてはmbaleloでなくmembalelaになった。

インドネシア語の表現能力はまだ低いという先入観を持たないひとは、1952年に出版
されたプルワダルミンタ辞典の中にmembalelaを見出すだろう。


bullyやbullyingに対応する、弱い者を怖がらせたり痛めつけたりする意味のmerisakや、
若者文化の一表現であるhang outに対応する「有用なことを何ひとつせずに、ただ座って
時を過ごす」意味のberlepakなども同時に見つかるだろう。

われわれはインドネシア語が持っている語彙を知らないのだ。最新レポートによれば、国
立小学校の50%、中学校の35%に図書文庫がなく、また辞書も教室の国語教育の中で
使われていないのだから。