「Engdonesian(後)」(2022年02月09日)

そのふたつの時代にインドネシアの若者ガウル言語はどうだったのか?ベン・アンダーソ
ン、クリシュナ・セン、デイヴィッド・ヒルたち外国人学者も、同じような観察を書き留
めている。オルラ時代には、コミック・カリカチュア・グラフィティに英単語が氾濫して
いた。すべてが地につかない外国の言葉として使われていたのである。似たようなことは
オルバ期の国産映画の中にも出現した。その時代の映画の中で英語は、印欧混血者の顔と
共に、四季のある国々で撮影されたシーンの中で同じ役割を演じた。すべてが消費者を魅
了するために貼り付けられた装飾品だったのだ。すべてが浮き上がっていて、物語られて
いるストーリーに溶け込んで一体化することがなかった。

それは映画の話だ。ポップ小説ではまた違う。オルバレジームが栄華に包まれると、英語
はルプスや雑誌「ハイ」「ガディス」の小説作家世代にとって避けることのできないもの
になった。おまけにRCTIが放送を開始し、それを追ってMTVAsiaがオンエアー
したあとでは。

今やオルバとポストオルバのガウル青少年たちは、英単語を混ぜないでインドネシア語の
文を作ることが困難になっている。だから都会ではEngdonesianがインドネシア人ガウル
世代のリングアフランカになっているのだ。
Hei bebi, long time no see. Lho apa ini? Oh, ngasih oleh-oleh? For mi? Repot-
repot aja. Waduh, so lovely! Ai laf yu. Tengku ya. Nanti malam bisa ikutan diner 
ama kita-kita? Aku sudah buking-in buat kamu. Plis join as. Gitu dulu,ya. Bai-bai.


かつて、われわれの周りにあったのはTaglish(Tagalog-English)であり、次いでSinglish
(Singapore English)が出現した。わが国はちがう。オランダは蘭領東インド植民地の原
住民にヨーロッパ語を教えようとしなかった。それで、オランダ人が去ってから何十年経
っても、インドネシアはポストコロニアル現象と無縁だったのである。あるのはコロニア
ル現象と持続的な反コロニアル現象ばかりだった。

二十年前に始まった良好で正しいインドネシア語プロパガンダを何年もにわたって批判し
て来たわたしにとって、Engdonesian現象が流行しているのは驚くべきことだ。まるでイ
ンドネシアのアーバン大衆スペースが今や、雑誌ハイやガディスあるいはルプスの一ペー
ジ、でなければMTVAsiaのスタジオになったようなものだから。嘆かわしいもの?
いや、わたしにとってはそうじゃない。それがアーバンポップ文化なのだから。

しかし正直なところ、公式ジャーナリズムレポートや印刷メディアのコラムに使われたな
ら、Engdonesianはわたしの読書欲を喪失させる。

SMSを送るのに新語を作り出す現代の若者たちの創造力にわたしは感心する。四分の一
世紀前、電報のおかげでわたしの世代も同じようなことをした。あのころはまだインター
ネットもファクシミリもなかった。だが授業で課した小論文にわたしの生徒がSMS用語
を使うと、わたしは眉根を寄せるのである。[ 完 ]