「ジャワ島の料理(65)」(2022年02月10日)

ムラユ語由来のkecapは口の中に食べ物を入れてクチャクチャと咀嚼するときの、あの音
を示している。そのものズバリの擬音語なのである。第一音節を弱母音にすれば日本語と
そっくりになるではないか。クチャクチャと音を立てて食べている様子は、美味しさを楽
しんで食べているような印象をわれわれにもたらすだろう。だから古代アジアのテーブル
マナーはクチャクチャと音を立てるのが善き事とされていたのではなかったろうか?

その伝で行くなら、ひょっとしたら、醤油をつけて美味しくなったものを華人がクチャク
チャ音を出して食べていたからだという由来譚ができあがるかもしれない。


華人がヌサンタラに持ち込んで来たものが内容を変化させながらプリブミ社会に浸透して
いった例もいろいろある。スマランのloenpiaやボゴールのngo hiangもそうだろう。ピー
ナツを使う料理も中国人がもたらしたものらしい。

現物とその名称が非華人系プリブミの実生活に完璧に溶け込んでしまったものはたくさん
ある。tahu豆腐、taoco豆醤、kecapあるいは食材のtaoge豆芽、 caisim菜心、lobak蘿蔔、
lokio韭菜、kailan芥蘭、lengkeng龍眼、leci?枝、mihun麺紛、bihun米粉、kwetiau?條
等々、書き出して行くときりがない。それらの素材からブタウィの華人プラナカン料理で
あるsoto mi, laksa, asinan betawi, bubur asinan semurなどが生まれたのである。

とはいえ、華人プラナカンが毎日そんなものを食べているのかというと、そうとも限らな
い。それは家庭によりけりだろうが、ある華人プラナカン一家は、うちはたいていサユル
アサムとナシウドゥッとクルプッの食事をしていて、一般のブタウィ人家庭と似たような
ものだと語っている。


アラブのHadramautから1870年代以降にヌサンタラに移住して来たアラブ人はminyak 
saminを使う料理をもたらした。このハドラマウト人は一般にハドラミと呼ばれている。

ハドラミの移住の波は先にインドに向かい、インドで文化融合を経たレシピをヌサンタラ
に持って来た。その代表選手がnasi kebuliだ。ファナティックなムスリムであるブタウ
ィ人は、マウリッの祝祭やクルアン読誦の集いにナシクブリをみんなで食べるのが習慣に
なっている。

ジャカルタのあるアラブ料理レストラン店主は、ナシクブリの味付けはインドネシア風の
ものになっていて、アラブのものとは異なっている、と言う。アラブにこのようなものは
ないのだそうだ。付け合わせのアチャルはキュウリ・パイナップル・ニンジンの酢漬けに
サンバルがかかっていて、果実のアシナンブタウィに似ている。


ブタウィのアラブ人プラナカン社会には独特の料理がいろいろある。イドゥルフィトリの
ような宗教大祭の日に、かれらは何を食べているのだろうか?soto tankar, nasi goreng 
kambing, lapis benggala, nasi bukhari, marak, sayur bebanci, lula betawi, nasi 
kebuli, begane,  pacri nanas....?

「違うよ。」とサワブサール生まれのアラブ人プラナカンは言った。それらの中には祝宴
のための料理も混じっているが、ルバランを迎えるときの料理はそんなんじゃない、とか
れは言う。

ルバランを迎えるための食事はブタウィコタ人と同じで、ketupat sayur, sambal goreng 
ati, ketupat semur, sambal cengekなどが用意される。肉はカンビンが使われるのが普
通だが、牛になることもあるそうだ。

おやつはka'aやhalwaで、飲み物は濃い茶かブラックコーヒーまたはジンジャーコーヒー
だ。全部温かくして飲む。カアは小麦粉に黒クミンとヤシ砂糖を混ぜて練ったドウを焼い
たドライな菓子で、サイズは直径7センチ厚さ1センチくらいの大きさだ。ドライと言っ
ても多少の湿り気があるので、年寄りでも難なく愉しめる。

ハルワはモチ米粉に黒クミンと粉砂糖を混ぜて練って作る。円錐形に形作ったものをカッ
プ皿や椀に置き、頂上に窪みを作ってサミン油を入れる。その食べ方は、人差し指をまず
サミン油に浸す。その指で円錐形を少し削り取り、指に付いたハルワをまたサミン油に突
っ込んでから、それを口に持って行く。小さい子供は口の周りがベタベタになる。
[ 続く ]