「続続・外来語の摂取」(2022年02月15日) ライター: アルアズハル大学アラブ語文学卒、アフマッ・バイハキ ソース: 2008年8月1日付けコンパス紙 "Bahasa Pemersatu" KBBI第三版をじっくり調べたあと、わたしの心に誇りと共に残念さが広がった。イン ドネシア語話者の頼りである辞書の語彙が時と共に増加して行くのは誇らしいことだが、 その増加した語彙の多くが英語とアラブ語を主体にした外国語になっているのは残念なこ とだ。 言葉に関するいくつかの記事にも、急激に進展するテクノロジー開発が一連の新語の形成 を盛んにさせている実態が語られている。たとえばmikroskopやtelevisiのようなものだ。 世界各国の言語専門家はその言葉をそのまま採り上げ、それを自国の標準語彙にした。わ が国も例外でない。 残念なことに、一単語中に収められた新テクノロジーコンセプトの移動は、インドネシア 語話者をして安眠をむさぼり続けることを赦してしまった。computerをkomputerにするよ うな、外国語をただインドネシア語の言語法則に適応させただけの借用語にしてしまった のだから。翻訳行為はまったく顧みられなかった。 Majma Lughah al-Arabiyah(アラブ語言語センター)が行っていることを参考にするのは 有意義だろう。かれらは外国語単語の摂取に際して、音声面と語義面の双方をアラブ化し ようと努めている。たとえばteleponのアラブ語としてhatifの語を当てた。ハティフは古 代アラブ語でwujud suara tanpa ada wujud rupaを意味している。 電話は、送話者の姿がなくてただ音声だけが現れるのだから、ハティフの概念に一致して いる。 マジュマルグハはかれらの言語世界にかつてあった古語を復活させ、世の中に使わせよう と努めているようだ。たとえばtelepon genggamがmahmulとアラブ語化されたのが別の例 だ。文字通りの意味はalat yang bisa dibawa ke mana saja。他にもkomputerはalat al- hisabつまりalat hitung、mobilはsayyarahつまりrombongan orang。 将来、ある外国単語を借用語としてインドネシア標準単語に決める前に、国語センターに 座すお歴々がその新語の概念に応じたインドネシア言語世界の単語を探すように努めるの は良いことだ。参照できるインドネシア語のソースはいろいろある。千を超えると言われ ている地方語の中から探してもよいだろう。 マジュマルグハが担っている使命のひとつはアラブ語のオリジナリティを維持することだ。 なぜなら、アラブ語はアルクルアンの言語であるという宗教上の要因のために、オリジナ リティが維持されなければならないからだ。もちろん、われらの国語センターも使命とイ デオロギー無しでは済まない。一体性と統一、多様性、違いの中の共通性などの精神は文 化の小単位である言語から始めることができる。そしてその手始めは外来語の概念を検討 することであってよい。 ほとんど絶滅しかかっているいくつかの地方語に配慮してそこから語彙を採り上げること は、その地方語を認め、尊重し、その維持を助ける行為にほかならない。グリンダムドゥ アブラスの第5項の中でラジャ・アリ・ハジはこう語っている。もしある民族について知 りたいなら、そのひとりの振舞いと言葉を見ればよい。 将来われわれがKBBIを開いて、収録語彙の○○パーセントがアンボン・バリ・バンジ ャル・バタッ・ブギス・ジャワ等々のヌサンタラの諸地方語で占められていることを目に したとき、われわれはきっと大きな誇りを抱くだろう。インドネシア語は名実ともにヌサ ンタラを統一する言語なのである。