「公式化とフォルマリン漬け」(2022年02月16日)

ライター: 哲学研究者、サイフル・ロッマン
ソース: 2010年2月13日付けコンパス紙 "Formalinisasi Bahasa Indonesia"

1926年の第一回インドネシア青年会議Eerst Indonesia Jeudcongresで、モハマッ・
ヤミンはヌサンタラにおけるムラユ語の将来に関するスピーチを行った。スピーチのタイ
トルはDe Toekomstmogelijkheden van Onze Indonesische talen en lettekundeで、その
中にたいへん重要な結論が書かれていた。Dat de toekomstige Indonesische cultuur 
zijn uitdrukking in die taal vinden zal.つまり「インドネシア文化の将来はムラユ語
で表明される。その言葉がインドネシア民族のアイデンティティとなる。」二年後の19
28年10月28日にその文句は明文化された。

ヤミンのイメージの中では、インドネシア語とインドネシア文化はひとつの民族アイデン
ティティの中に溶け合って、民族構成員のライフスタイルになる。ところが昨今の様相を
見るにつけ、われわれは異なる現実の挑戦を受けているように感じる。法規で定められた
インドネシア語標準化は、過去の凍結と実用的インドネシア語における新アイデンティテ
ィ探求もしくは旧アイデンティティ破壊の方向に向かっている。モハマッ・ヤミンのイメ
ージと比べたとき、現代の民族アイデンティティ建設という文脈の中でインドネシア語に
起こっているのは、本当はいったい何なのだろうか?

< 疎外化 >
これまで標準インドネシア語は特定の、しかもたいへん特殊な文脈においてのみ使われて
来た。国民の民族生活における日常コミュニケーションで標準インドネシア語はもはや外
国語のようなものになっている。たとえば、テレビの24時間放送の中で、標準インドネ
シア語は一日90分ほどのニュース番組の中で出会うだけだ。それ以外は、宣伝広告・番
組タイトル選定・番組の中で使われる言葉や会話などのすべてが標準インドネシア語に即
さないものになっている。その原因として、標準インドネシア語は「売れない=経済要因」
「ガウルでない=コミュニケーション要因」「カッコよさに欠ける=イメージ要因」「視
聴者のイマジネーションに訴えない=作用的要因」と言われている。それらの事実はイン
ドネシア語がもはやライフスタイルとして、あるいは話者の魂の一部分として存在し得て
いないことを示している。

ルドヴィヒ・ヴィッツゲンシュタインの古典的理論がこの事実の本質を説明してくれる。
言語使用行為は会話を成立させるというコンテキストに深くつながっている。コンテキス
トというのは時間・空間・話者の意図・聴者のセグメントを意味している。話者が発話す
るとき、その行為はコンテキストが定めるルールに従うのである。

その理論が真理であるなら、現代というコンテキストにそれを適用したとき、インドネシ
ア語は言語使用の多彩なルールの中の一選択肢でしかない、ということが明らかになる。
インドネシア語の地位は、インドネシアにおけるコミュニケーションルール決定の最有力
者ではないのだ。なぜなら、社会の言語使用行為はモハマッ・ヤミンが理想にしたインド
ネシア文化でなく、外から入って来た有力な文化に導かれているからだ。

< 英語もどき >
シンガポールにシングリッシュSingapore Englishがあり、インドネシアにインドリッシ
ュIndonesia Englishがあることがその証拠だ。シンガポールでシングリッシュはムラユ
語訛りの英語である。しかしインドネシア社会でインドリッシュは英語風に装われたイン
ドネシア語と理解されていて、英語でもなければインドネシア語でもない。

それは植民地時代にひとびとが地方語の中にオランダ語を織り交ぜて使っていた現象を思
い起こさせる。世人はその現象をbahasa petjoekと呼んだ。スバギヨ・サストロワルドヨ
はbelletrijと呼んでいる。最新資料は1990年のHet Javindo de Verboden Taal(V.E. 
de Gruiter著)で、その混合様式はkroyoと述べられている。フラウターはそこに、オラ
ンダ領東インド社会の日常会話はジャワ語とオランダ語の混合で行われていたと書いた。
プチュッスタイルはスカルノの演説の中にも見られる。ユニークなことに、モハマッ・ヤ
ミンがインドネシア民族の言語としてのムラユ語の重要性を訴えたとき、かれは純粋なオ
ランダ語でそれを述べたのである。その話者の意識の中でメジャーになっている文化が言
語を使用する行為の中に反映されるのだということをそれらの事実が明らかにしている。

前植民地時代はアラブ語が有力言語であり、ジャワ語をアラブ文字で表記するアラブぺゴ
ンやムラユ語をアラブ文字で表記するアラブジャウィが生まれた。植民地時代には、ムラ
ユ語はオランダ語の下に置かれてその陰影が刻みこまれた。ポスト植民地時代は、インド
ネシア語はまるで英語の脚注のようになっている。

インドネシア語標準化のストラテジーがインドネシア性というアイデンティティを構築す
るための真摯な努力に支えられないなら、それは腐った魚の包装を取り換えるようなもの
に終わるだろう。

ざっくばらんに言うなら、的外れのインドネシア語の公式化formalisasiはインドネシア
語をフォルマリン漬けformalinisasiにするだけになる。それは一見豪華でみずみずしい。
しかし有毒なのだ。