「サファリラマダン」(2022年02月17日)

ライター: アスフィ・ワルマン・アダム
ソース: 2005年10月21日付けコンパス紙 "Safari Ramadhan"

スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が2005年10月14日からラマダン月が終わるま
でインドネシアの各地を訪問し、国民貧困層と顔を合わせて話し合うキャンペーンを開始
した。まずジャカルタのチリンチン地区を皮切りにして、数日後バンテンに移り、それか
ら南カリマンタンのバンジャルマシンに飛んでヌズルルクルアンの祝祭を地元民と共に行
い、東南スラウェシのクンダリのあと、西ヌサトゥンガラのアンペナンで終わりを迎える
計画だ。宗教大臣によれば、大統領のその計画はサファリラマダンの伝統の復活なのだそ
うだ。

safariは旅を意味するアラブ語safariyaを語源にしている。サファリという語は「狩猟や
探検を目的にしてアフリカで長旅をすること」という語義で種々のヨーロッパ語に摂りこ
まれた。そのために、車の中から動物を見物するひとびとが車の外にいる動物に見物され
る様式を採ったチサルアの動物園がTaman Safariと命名されている。


オルバ期にサファリという言葉は大いに流行した。jas safariは半そでの上着にポケット
がたくさん付いたもので、当時のオフィシャルスーツとして中央政府から地方政府に至る
まで高官たちが愛用した。下級職員がそれを着なければならない破目に陥ると、「わあ、
ポケットのほうが中身より多いぜ。」としばしば悪態をつかれた。mobil safariはよく天
井幕を外して使われるフォルクスワーゲン車で、県令が県内を視察するときにたいていそ
れに乗った。

服や自動車の他にも、人間に関して使われた。artis safariは総選挙キャンペーンのとき
にゴルカルに依頼されて各地の集会で選挙民を楽しませる役を担った歌手とバンドであり、
かれらは集会スケジュールに合わせて全国各地を巡回することになったためにそう呼ばれ
た。この歌手とバンドは国営テレビ局で定期番組を与えられた。

アルティスサファリをコーディネートしたのは著名コメディアンの故エディ・スッ氏だ。
かれはそのコーディネートを行っているときに少女歌手イチェ・トレスナワティと出会い、
結婚した。

サファリラマダンはハルモコ情報大臣のプログラムだった。そのとき、かれはゴルカル党
首を務めていた。ハルモコはインドネシアの全地方を訪れてゴルカルの地方幹部と接触す
る傍ら、キャンペーンを行った。そのツアーが政党(与党)のキャンペーンを兼ねたもの
であったというのに、費用は情報省が負担した。この二重目的のツアーにハルモコはウラ
マたちを同行させた。かれは公共の場でアルクルアン章句を間違って唱えたような人物だ
ったが、総選挙キャンペーンで実に巧みに宗教を活用した。


SBY大統領が各地を訪れて貧困国民層と接触するのはたいへん有益なことだ。経済面で
困難な状況に陥った国民を慰め、絶望にとらわれないように励ますのは大切だ。問題はそ
のサファリラマダンという言葉にある。ラマダン月の間、各地の高官たちもさまざまな名
称でその時期に関連付けた活動を呼んでいるが、その報道はたいていローカルメディアに
限られる。国家元首が全国的な活動としてサファリラマダンを行うとき、国民が抱く感触
と反応は異なる様相のものになるだろう。全国規模のマスメディアが報道し、それは全国
民の耳目に触れることになる。「SBYがハルモコの真似をし始めた。」という皮肉なコ
メントが世間を走る可能性もありうるのだ。

前政権の優れたプログラムを後継政権が復活させることは何ら問題がない。だが、言葉に
関するアスペクトも検討されてしかるべきだろう。呼称には明示的意味と暗示的意味が含
まれており、そして国民大衆は集合記憶を持っているのだ。

サファリという言葉には、オルバ・ゴルカル・行政高官・公式選挙運動期間外の選挙運動
・言葉だけの日々といった暗意が含まれている。このような面は大統領を補佐するひとび
とが国家元首の活動プログラム作成に当たって配慮するべきことがらではないだろうか。
その言葉に関する社会の集合記憶が劣悪なものになっているのだから、高貴な目的でなさ
れる国家元首の活動が国民にネガティブな印象を与えることのないようにしなければなる
まい。