「ジャワ島の料理(70)」(2022年02月17日)

ガドガドの由来譚はこうなっている。マタラム王国のスルタン・アグンがバタヴィア進攻
を命じたとき、もちろん大軍勢のための兵糧も手配された。特にコメは支配下の穀倉地帯
に命じて用意させ、遠征軍の要請に応じて送り届けるような準備がなされていた。すると
VOCはそれらの穀倉地帯に攻撃部隊を送って、米蔵を焼き尽くしたのである。

バタヴィア包囲戦が長引くにつれて、マタラム王国軍の食糧不足が深刻化してきた。食べ
られる野草や野獣は手に入っても、コメだけは何ともしようがない。そんなとき、ポノロ
ゴのワロッ兵たちが近辺にある野草を摘んで来て、それにサンバルプチュルをかけて食べ
ていた。ポノロゴの兵隊がガドでプチュルを食べているという話が広まって、マタラム軍
兵の間でンガドプチュルが流行った。それがガドガドの起源なのだそうだ。現在のガドガ
ドはロントン・卵・タフ・クルプッが添えられて、そのときのマタラム兵が泣いて喜びそ
うなメニューになっている。

この1628年のマタラム軍バタヴィア進攻の話は、拙作「バタヴィア港」
http://indojoho.ciao.jp/koreg/hlabuvia.html
をご参照ください。

確かにガドガドの由来がジャワ人の嗜好に沿ったものであるなら、野菜は茹でられる方が
自然かもしれない。だがブタウィ文化のベースにあるのはスンダなのである。それが生野
菜のガドガドを生む十分な根拠になりうるようにも思われる。

おまけにガドなんだから白飯のおかずにせずとも十分に食べられるものであってしかるべ
きだ。まあ、そのためにロントンが入っているのかもしれない。しかし野菜好きのひとに
は、白飯とスムルにガドガドという組み合わせをブタウィレストランで食べるのも悪くな
いだろう。白飯とロントンでは米の量が多すぎるなら、ガドガドからロントンを抜くよう
に言えばいい。


やはりピーナツソースを使う軽食にketoprakがある。クトゥパッもしくはロントンとビー
フン、茹で卵・モヤシ・キュウリ・揚げ豆腐を合わせてピーナツソースをかけたものだ。
テンペを加える場合もある。

ピーナツソースはニンニク・トウガラシ・ヤシ砂糖・塩とピーナツをすり潰して練り、水
を加えて適度な濃さにする。これもヌサンタラのいたるところで売られている軽食であり、
インドネシア語ウィキはブタウィ料理という謳い方をしていない。


クトゥパッサユルという料理は、野菜を使って作られたクトゥパッの意味ではない。料理
名に使われるサユルは野菜の意味でなくて野菜を使った汁料理のことだから、クトゥパッ
サユルとはクトゥパッに野菜の入った汁をかける料理のことなのである。

同じようにsayur asamやsayur nangkaのような料理名のサユルをベジタブルの意味で解釈
すると現物との間で矛盾が起こるはずだ。KBBIもsayurの第二語義としてmasakan yang 
berkuah (seperti gulai, sup)と説明している。わたしの言語体験から言うなら、食事関
連の話の中でベジタブルのことをインドネシア人に伝えたければ、サユルではなくsayuran
サユランと言う方が簡潔に意図が伝わる。サユルという語は外国人にとってインドネシア
語の中の躓石のひとつかもしれない。

クトゥパッの代わりにロントンが使われたらロントンサユルになる。汁は通常、スパイス
入りブイヨンにココナツミルクが混ぜられたもので、それがロントンまたはクトゥパッ・
ハヤトウリ・長豆・茹で卵・タフ・テンペなどを入れた椀にかけられる。

この料理はミナンカバウの特徴を強く感じさせるものであるため、ミナンカバウ料理が起
源だとインドネシア語ウィキは書いている。それがブタウィ風にアレンジされたものが
ketupat sayur ala Betawiになるようだ。

ブタウィのクトゥパッサユルは長豆の細切れが使われるのが普通で、ミナンの場合はハヤ
トウリ・未熟パパヤ・未熟ナンカなどが使われる。とは言っても、これはひとつの傾向を
述べているにすぎない。[ 続く ]