「ジャワ島の料理(72)」(2022年02月21日)

チャップゴメの日は寺院の神像を外に担ぎ出して練り回り、賑わいを高めるためにバロン
サイやリオン(龍)の行列などのアトラクションが催され、ひとびとはみんな寺院に詣で
る。ほとんどの人間が外に出て夜まで遊ぶので、台所にこもって料理を作るようなひとは
あまりいないだろう。

ジャワの田舎町では、正月の夜から15日間、毎夜ワヤンクリが中華寺院で演じられ、華
人もプリブミも大勢が陰暦正月Imlekを祝った。その最終日がチャップゴメなのだから、
最終夜にはさまざまな趣向が凝らされたことだろう。老齢のプリブミの中にも、若いころ
に体験したイムレッの祝いを覚えているひとがたくさんいる。


シノローグのミラ・シダルタ女史はロントンチャップゴメについて、ジャワのローカル料
理に中華風ブンブを加えたものだと語る。多分、チャップゴメの祭礼に忙しい華人プラナ
カンたちが、クパッサユルをロントンに替えて中華風の味付けにしただけのものを受け入
れたことに始まるのではないかと言うのである。だからブタウィ人はクパット/クトゥパ
ットチャップゴメと呼ぶそうだ。

1985年にトゥガルの中華寺院でジャワ人女性がロントンチャップゴメを売っていた。
それがスマランやスラバヤに広まって、華人プラナカンばかりかプリブミの間でも大いに
売れた

華人プラナカンはローカル料理を好む。華人トトッは純粋の中華料理を好む。西洋教育を
受けた華人はオランダをメインにしてヨーロッパ料理に傾倒した。そんな背景の中での大
ヒットだったということだ。

広域拡大が起こると、各地でバリエーションができあがるのがヌサンタラの常だ。ブタウ
ィではざっくり切ったロントンまたはクトゥパッにハヤトウリと長豆の細切れの汁をかけ、
オポルアヤム・タフテンペ・カリ煮のジャガイモやカリアヤムが添えられる。それにトウ
ガラシ・プテ・エビで作ったサンバルゴドッがかかる。

中部ジャワ・東ジャワ・ヨグヤカルタではサンバルに違いが出る。マランやスラバヤでは
プティスが使われる。マディウン・ソロ・ヨグヤ一帯では、大豆の粉と塩を混ぜたものが
振りかけられる。


ジャカルタのあちこちに支店を開いているSate Khas Senayanは、ロントンチャップゴメ
を常設メニューにしている。そして本当のチャップゴメの祭日には内容がグレードアップ
されるそうだ。サテハススナヤンは1974年からその常設メニューを始め、2001年
のグスドゥル大統領による華人復権で売り上げが激増した。

このレストランは昔サテハウススナヤンという屋号だったように記憶している。インドネ
シアでは歴史の中で何度か、英語のビル名・会社名・屋号などが民族主義の敵扱いされる
運動が起こったから、屋号のハスはひょっとしたらその対策として語呂合わせが行われた
結果ではないだろうか。

このレストランの創設者は中部ジャワ州クドゥス出身のニョニャブディで、メニューはす
べてブディ夫人の一家が作る家庭料理だったそうだ。昔はサテバビがメニューの中にあり、
プリブミが作り売りしているサテでは味わうことのできない味覚が愉しめた。


グロリアの名前を冠したワルン「Ketupat Sayur Gloria」の店主メイインさんは、レシピ
を姑のカルティカ・チャンドラさんから教わったと語る。純粋のチナベンテンだった姑が
1967年に開いたワルンを1983年に引き継いだメイインさんは、姑が作った味をそ
のまま再現し続けている。客に出す茶は甘いか甘くないか、熱いか冷たいかのバリエーシ
ョン一本やり。客が茶以外の飲み物を注文したら、自分が近所の店から買ってきてそれを
客に出している。[ 続く ]