「ジャワ島の料理(74)」(2022年02月23日)

ガングロリアに入れば、それら以外にもsiomai焼売・bapao肉包・lunpia潤餅・nasi tim 
ayam・bebek panggang・sekba・bektimなどが売られている。それらがトトッ風味なのか、
それともババッ風味なのか、それは食べてみてのお楽しみかもしれない。

パンチョラン地区の商店会世話人のひとりは、この地区で商っている食べ物を見れば、そ
の商人の素性がだいたい判る、と言う。ソトミ―を商っている華人は間違いなくチナベン
テンだそうだ。Cina Bentengとはタングラン出身の華人プラナカンで、プリブミ文化への
傾倒が深いひとびとだ。

インドネシア華人料理専門家は、昔の華人はコーヒーを飲まなかったと語る。コーヒーを
飲む習慣がなく、またコーヒーがあっても飲もうとしなかった。華人の飲み物は茶であり、
それが嗜好を決めていた。だからコーヒーショップが華人街にオープンしたのは1920
年代以降だったそうだ。


クトゥパッサユルに話を戻そう。中華風でなくブタウィ風だと地元民が言い張るクトゥパ
ッサユルもクバヨランラマ地区やRawa Belong地区で威勢を誇っている。ブタウィ人はイ
ドゥルフィトリの大祭と、死者を弔う十五日目の夜および四十日目の夜に、クトゥパッサ
ユルを食べるのを習慣にしてきたのである。

クバヨランラマからラワブロン、パルメラ一帯にかけて、古い時期から営業を始めたクト
ゥパッサユルの老舗ワルンが三つある。どれもブタウィ人の店だ。クバヨランラマ通りの
クトゥパッサユルムルニ食堂、ラワブロン三叉路のワルンナシバンムリ、アランワル通り
のワルンバンパイがそれだ。ムルニ食堂は1957年にオープンし、最初はパサルパルメ
ラやパサルクバヨランラマの商人たちが朝食を食べに来たそうだ。バンムリは1980年
代にオープンし、パサルの商人や勤め人が食べに来た。昔のブタウィ人は食事ワルンに集
まって来るとおしゃべりに花を咲かせて長時間居座るのが好きだったと店主は語っている。
だが昨今の客は、知らぬ者同士がおしゃべりに花を咲かせることもなくなり、食事をしに
やってきて、食べたらすぐに帰って行く、と世相の移り変わりを物語っている。

昨今のムルニ食堂は、客層が華人に偏るようになってきた、という店主談だった。平日は
華人系の勤め人がたくさんやってくる。休日になると客はもっと増える。朝の運動をした
あととか、教会の帰りとか、どこかへ出かけた帰り道でお昼にクトゥパッサユルを食べる
ようだ。

ラワブロン三叉路一帯は、クトゥパッサユル・ナシウドゥッ・スムルジェンコル・ピンダ
ンバンデンなどのブタウィ料理を供するワルンが集まっていて、夜な夜なブタウィ料理愛
好者を引き寄せている。


ブタウィ料理とされている他のサユル料理にsayur besanやsayur asam kuning/beningが
ある。サユルベサンのベサンとは結婚した男女の各両親同士の間に生じる関係のことで、
日本語では相舅(あいやけ)と言う。また結婚相手の兄弟姉妹の伴侶はiparという関係に
なる。だからわたしの妻の弟妹の伴侶はわたしにとっても妻にとってもadik iparとなり、
そのひとにとってわたしたち夫婦はどちらもkakak iparになる。

ベサンという言葉が示す通り、この料理は子供の結婚を通して親同士がベサンの関係に入
ることを祝うためのものであり、つまりは婚礼の祝いを象徴するものなのだ。ブタウィの
慣習では、結婚を祝う食べ物としてワニ型に焼いたパンroti buaya、ドドルdodol、サユ
ルベサンが必須のものになっている。ブタウィ人はワニを一夫一婦制のシンボルと考えて
いるのだ。


ブタウィの伝統スタイルの婚姻の場合、夫側は持参した結納maharを、婚姻誓約儀式akad 
nikahの中で妻の一家に差し出す。儀式が終わって婚姻が成立すると、夫側の一行は家に
帰る。そのときに妻の実家側は用意したsemur daging, ayam bekakak, serundeng, opor 
ayam, pesmol, ketan kuning, kue talam udang, pepe, bugisなどの料理や菓子を持ち帰
らせるのである。

そのあと、夫側の両親は婚礼の宴が終わるまで嫁の実家を訪問してはならないことになっ
ている。婚礼の宴が終わってからはじめて、夫側の両親が嫁の実家を訪れて新しいベサン
と親睦を培うのである。そのときに嫁側のベサンへの敬意を象徴させてサユルベサンが手
土産に使われる。あるいはもっと後に、頻繁に行き来のないベサンがやってくるときにも、
迎える側がこの料理を用意することもある。[ 続く ]