「ジャワ島の料理(75)」(2022年02月24日)

この料理がベサン間の関係のシンボルに使われるのは、terubukあるいはterubus、また地
方によってtiwu endog, tebu endogあるいはtelur tebuと呼ばれる珍しい植物の花が主素
材になっているからだ。この植物はサトウキビ属の一種で学名をSaccharum eduleと言い、
サトウキビのような茎の節の中に魚の卵状の花が詰まっている。

この東南アジア特産の花は生や蒸したり炒めたりして食べられているが、ブタウィのサユ
ルベサンもその料理法のひとつであり、スンダ地方ではお得意のララップの材料のひとつ
にもなっている。食感はまるで魚の卵そっくりだそうだ。細かい卵状のものがたっぷりと
入っているこの汁料理サユルベサンで、子供の結婚によって結び合わされた両家の親もし
っかり繋がり合いましょうということを象徴しているという説明になっている。

サユルベサンというのは、そのトゥルブッ・ジャガイモ・春雨またはビーフン・プテ・干
しエビが実になっていて、それにココナツミルクを使った汁をかける料理だ。汁の色は黄
もしくは赤っぽくて、ラクサブタウィに似ている。ラクサにもラクサボゴールというライ
バルがいる。ラクサブタウィはむしった鶏肉・オンチョム・モヤシを使わないのがその違
いだそうだ。ラクサブタウィは実にクトゥパッ・ビーフン・バジル・ニラ・卵・プルクデ
ル・バワンゴレンが入り、汁は干しエビが加えられてコクのあるものになっている。


高原部でよく生育するトゥルブッは低地でも生えるものの、花の出来が高地ほどよくない。
テルナーテにもこの植物はあって、sayur lilinと呼ばれている。この場合のサユルは野
菜の意味だ。

しかしトゥルブッはもはやジャカルタ近辺でほとんど手に入らなくなっており、ブタウィ
人もあまり作らなくなってしまった。ましてやワルンブタウィの中で客にこれを食べさせ
てくれるところはもう期待しようもないだろう。

ブタウィのサユルアサムも、スンダのものとはかなり趣を異にしている。ブタウィ風サユ
ルアサムを食べたければ、西ジャカルタ市ジョグロラヤ通りから近いJl Sayur Asemサユ
ルアスム通りへ行けばよい。その通りには高い評判のブタウィ風サユルアサムのワルンが
いくつかあり、1980年代にその地域の特徴が公認されてサユルアサムの名前が道路名
に付けられたのである。たいてい一日中、この狭い通りの端に四輪二輪の自動車が並ぶ。

その道路名を書いた表示板のすぐ脇の木造壁の建物がハジマタリのワルンだ。その建物で
1945年にハジマタリの親が食べ物の作り売りを始めた。そのころ、ハジマタリは12
歳だった。

売り物がブタウィ風サユルアサムに収束して行ったのは1970年代のことで、既に固定
客がついて繁盛していても、このハジはワルンを昔のままの木の壁と土の床にしている。
おまけに看板さえ出さないから、道路名の板が看板代わりになっている。

昔の苦しかった時代を忘れないように、建物は昔のままにしている、とかれは言う。人間
の暮らしは大地を踏まえたものになるべきであり、土から離れたらよい結果が得られない。
土間は暑さを軽減するし、陶器を落としても粉々になることはない、とかれは語る。ハジ
はそんな人生哲学を体得しているようだ。

ブタウィ人は開けっぴろげで、人間が大好きで、冗談と頓智でひとの意表を突くことを好
む。ものごとを常識的な角度から一旦見た上で、視点を別の位置にずらしてそのものごと
をユーモラスに解剖する。だからブタウィ社会で暮らしていると、悲観論が存在すること
を忘れそうになる。人間が自分のしたいことをするのは当たり前であり、それが他人に迷
惑を及ぼさないかぎり、礼儀のような形式に拘泥しない。身構えないで自分の姿をそのま
まさらけ出しても否定されないという社会は人間が生きることを励ますものではないだろ
うか。

ハジマタリのワルンに客が混む11〜14時ごろ行ってみると、常連客が台所に入って自
分で飯を盛ったり、鍋のふたを取って自分で汁をよそっている姿を目にする。中には、テ
ーブルが満席になっているのを尻目に、台所で飯を食っている客の姿さえ見受けられる。

みんながそこをまるで自分の一族の家のようにふるまっているのだ。客のひとりは、ここ
はまるで田舎の自分の家みたいだ、と語る。「節度さえ保っていれば、自分の好きなよう
にしてもまったく問題ない。」[ 続く ]