「ジャワ島の料理(77)」(2022年03月01日)

タナアバン地区で売られているソップカキカンビンはたいてい牛乳が混ぜられている。元
々は牛乳を混ぜない透明の汁が普通だった。ところがアラブ人の習慣を真似て、一部の料
理人が牛乳を混ぜるようになったと語る者がいる。この流行は1960年代にソトブタウ
ィで始まり、ソップカキカンビンにまで広がったそうだ。

別のブタウィ人の話によれば、1945年ごろのソップカキカンビンは透明な汁で、ソト
ブタウィはココナツミルクの汁だった。南ジャカルタのクニガン地区の牧畜地帯から搾り
たての牛乳をチリウン川北側の市街地に巡回販売しに来るミルク売りが昔は大勢いた。新
鮮な牛乳が容易に手に入り、たくさん消費された。

ブタウィ人は怠け者で、ヤシの果肉からココナツミルクを搾るのを面倒くさがり、ソトブ
タウィに牛乳を使う者が出た。それが流行してソップカキカンビンまで広がったのだ。こ
れは決してオランダ人の影響ではない。オランダ人がソトブタウィを自分で作るはずがな
いではないか。そのブタウィ人はそう物語っている。

ソトブタウィで最初にそれを行ったワルンは1943年に開業したチキニ動物園のソトハ
ジマッルフだったという話だ。ハジマッルフの子息が今でもTIM内でソトブタウィのワ
ルンを営んでいる。かれの話によれば、父親のマッルフが牛乳を混ぜたのは、まったくの
偶然だったそうだ。

あるとき、どうした加減か、ソト汁が残り少なくなった。ところが肉はまだたくさん残っ
ているから店じまいして帰るわけにいかない。急遽ソト汁を作らなければならない。つま
りヤシの果肉を削ってココナツミルクを搾り出す作業をしなければならないわけだ。そこ
でひらめいたのが、ココナツミルクと牛乳を混ぜることだった。そのアイデアを実行して
みたところ、ココナツミルクだけの汁よりも旨味がはるかに優れていた。それ以来、ハジ
マッルフは牛乳入りソトブタウィを売り始めたというのが子息の話だ。

そのころ、牛乳を使う料理というのは高級料理のイメージが強かったから、牛乳入りソト
ブタウィは大いに売れた。他のソトブタウィのワルンがそれを真似しないはずがない。1
950から60年代にかけて、牛乳入りソトブタウィのワルンがジャカルタで一世を風靡
し、ソップカキカンビンの料理人の中にもそれに追随する者が出た。


クニガン地区の乳牛業者はますます栄えたにちがいあるまい。料理人たちはその牛乳を買
って自分の商品に使ったのだから。しかし昨今の料理人たちは、あまりフレッシュミルク
を使っていない。

今でも巡回して来るミルク売りはいる。しかしミルクのクオリティが昔に比べて良くない。
だから牛乳を使うソップカキカンビン料理人のひとりは、自分はもっぱら粉ミルクを使っ
ていると語っている。

一大畜産地区だったクニガンが都市開発のために姿を変え、ラスナサイッ通り一帯のビル
が立ち並ぶビジネスエリアに変身したのだから、いまだに残っているひとにぎりの乳牛飼
育者・牛乳生産者の運命も想像に余りあるにちがいない。


やはり汁料理の一カテゴリーにsemurがある。インドネシア語ウィキによれば、スムルは
オランダ語のsmoorを語源としており、英語のシチューに該当しているそうだ。肉やジャ
ガイモ、トマトや玉ねぎなどの食材をスパイスの入った水に入れ、長時間トロ火で煮込む
料理法である。

肉を柔らかくするために長時間煮込む。その水にブンブや他の野菜を入れて煮込み、肉と
その汁を一緒に食べるという作法が西洋由来のものかどうかはよく分からない。インドネ
シアで西暦9世紀に作られた石碑には、スパイスを入れた水で水牛やヤギの肉を煮る料理
法が記されているし、別の時代の石碑の中にも類似の記載が見られる。だがそれが現代イ
ンドネシアのスムルと似通った食べ物だったのかどうかまでは知る由もない。[ 続く ]