「モスクの用務員」(2022年03月01日)

ライター: ナフダトゥルウラマ大学言語学教官、ファリス・アルニエサル
ソース: 2018年11月17日付けコンパス紙 "Takmir dan Marbut"

それぞれのモスクには運営者がいる。モスク運営組織構成はシンプルなものから複雑なも
のまで千差万別で、施設設備のメンテナンスからモスクが催す種々の宗教活動の世話に至
るまでモスクが必要とするあらゆる活動を担当するのである。

モスク運営者のお歴々はtakmir masjidと呼ばれる。KBBIの語義を見ると、タッミル
とは?栄させる行為あるいは繁華にする行為のことであり、その対象がたとえばモスクだ
ということになる。われわれは通常、モスクにいる運営者あるいは世話人をタッミルと呼
んでいるが、その言葉は、本当のところはモスクを繁栄させたり賑やかにする行為を指す
名詞なのだ。

この問題はわれわれが当たり前のように犯している間違いによく似ている。つまりsalat
やsarapanのように、名詞であるにもかかわらずしばしば動詞として使う間違った常識だ。
Dia salat di masjid.やNanti kita salat di jalan saja.のような文は、salatが名詞で
あるのに、むりやり動詞の位置に置かれている。正しくはsalatの動詞形bersalatを使っ
て、Dia bersalat di masjid. Nanti kita bersalat di jalan saja.とするのが正しい文
だろう。

takmirもモスクを繁栄させるプロセスや行為を意味する名詞なのだから、一個人をタッミ
ルと呼んではおかしい。なぜならtakmir masjidという句はモスクを?栄させるために行
われる行為・活動・メカニズムなどを指しているのだから。では、ひとについてはどう呼
べばいいのか。モスクの番をし、モスクの活動の世話をする人間はmarbutなのである。こ
のマルブッの語義はKBBIで、orang yang menjaga dan mengurus masjidと説明されて
いる。


ところがわれわれには、このマルブッをしばしば間違った意味で使っているという別の問
題がある。世に流布している誤った理解とは、マルブッはモスクの世話をする人間であり、
モスクの経営や運営に関わる上部構造に属する者でなくてモスクの物理的構造つまり施設
設備の営繕や清掃の仕事をする者であるというものだ。マルブッは普通、モスクに住んで
アザンやイカマを呼びかけたり清掃する責任を負っている者と理解されていて、高次の判
断を下したり活動を統率したりする人間には使われない。

マルブッはモスクにしかいないのだろうか?正確なところは分からない。辞書に記された
定義はモスクに関連付けて述べられているものの、ムサラやスラウにも同じような機能を
果たしているひとびとがいる。かれらは施設設備の世話をし、アザンやイカマを呼びかけ、
おまけに礼拝のイマム役まで行っているひとも中にはいる。古典となったAAナフィス著
の短編小説Robohnya surau kamiにもそれが描かれている。ストーリーの中に登場する
kakekと呼ばれる人物は日々、スラウのさまざまな用事と刃物研ぎの技能から生じた副業
で忙しいが、かれの生計はその副業ではなくて、信徒からの喜捨とスラウの表にある養魚
池の魚に重きを負っている。カケには家もなければ妻子もいない。

このカケのような人物をマルブッと呼んではいけないのだろうか?かれがスラウで果たし
ているさまざまな用事は、現在のわれわれがマルブッという職業名で呼んでいる行為と全
然違わないのではあるまいか。よく分からない。ただ、世に起こる現実は、間違いなくそ
の通りなのである。間違いが起こるのは、われわれがそれをどのように把握して書き記す
かという点においてだろう。辞書の中をも含めて。