「ジャワ島の料理(79)」(2022年03月04日)

スムルクルバウは一週間続くルバラン祝祭の間中、常に食卓になければならないので、た
っぷりと作られる。祝いのために訪問して来る客に必ずこれを勧めなければならないのだ。
そしてホスト側も相伴するのが礼儀なのである。ブタウィ人の中にはそれを、過去一年間
に起こった意図的あるいは偶然の不和や不一致・対立などがもたらした嫌な感情をすべて、
スムルクルバウを一緒に食べて洗い流し、睦まじい人間関係を再スタートさせるための象
徴であると語るひともいる。

家族にとっては、常に卓上に出て来るスムルクルバウにいいかげん飽きて来るから、しば
らくすると台所がまた忙しくなり、sayur asam, sayur godog, sambal goreng, ikan asin 
gorengなどが作られることになる。サユルアサムはトウモロコシ・ムリンジョ葉・長豆・
未熟パパヤの実・ウリやハヤトウリを実にして、赤バワン・ニンニク・サラム葉・若いタ
マリンドの実から作った汁をかける。サユルゴドッはサユルアサムの汁にオンチョムが加
えられているのが特徴だ。


ブタウィ人は必ずムスリムであり、非ムスリムはブタウィ人でないという説はファナティ
ックな極論だろう。先祖代々、普通のムスリムの家系だった一族の中に、結婚や何らかの
事情でクリスチャンやカトリックに改宗する者もいる。一度ムスリムになったら、そこか
ら抜けるのは命がけだなどというナンセンスな話は一般的なイスラム社会の中に存在しな
い。あるブタウィ女性は、高校生のころに華僑系キリスト教徒の同性の親友を持ったおか
げで、お互いの宗教をよりよく理解するために一時期、ムスリムのかの女は毎週親友と一
緒に教会に通い、別の時期には親友をモスクに連れて行くことを何度も行ったという話を
わたしは聞いている。

ブタウィコミュニティの中に非ムスリムが稀ながら存在し、コミュニティの地縁の中に異
種族異教徒が混じるのは首都圏一帯でごく当たり前の姿になっている。その地縁が作り出
す人間交際が異宗教を理由に断絶ラインを引くのでは、地縁コミュニティにおける社会交
際が成り立たなくなるのである。

ある年のルバラン日に、ブカシ市ポンドッムラティのカンプンサワに住むキリスト教徒ブ
タウィ人ヤコブス・ナピウンさんの家にイスラム教徒の妹からスムルクルバウのランタン
が届けられた。4層のランタンの一番下には飯とクトゥパッ、その上にスムルクルバウ、
その上にはオポル、そして最上層は菓子類が入っていた。

「わたしはここに50年以上住んでいる。これまでルバランにスムルクルバウをムスリム
の兄弟・隣人・知合いの誰からももらわなかった年は一度もない。」
そのお返しにかれらキリスト教徒ブタウィ人はクリスマスの日にスムルクルバウをムスリ
ムの家庭に送っているという話だ。


ブタウィ料理の代表のひとつとされているkerak telorは軽食だ。昔は釜で飯を炊くと、
底に硬くなった飯の層ができた。焦げていてもいなくても、そのままでは食べづらいから
茶や湯に浸して、柔らかくして食べたものだ。インドネシア語でそれをクラッと言う。
クラッは飯だけに限らず、何かに硬くこびりついたものを指して使われる。台所のブレン
ダーに食べ物のカスがこびりついたら、それもクラッだ。

このクラットゥロルという食べ物は、ブタウィ人が飯を炊いて残ったクラッを使って食べ
やすい食品にしたものとわたしは思っていたのだが、違っていた。このクラットゥロルは
オランダ植民地時代からあった食べ物で、ブタウィの地にヤシの実が潤沢にあったため、
ヤシの実の消費促進のためにさまざまな食べ物を考案した結果生まれたものだと説明され
ている。

クラットゥロルの作り方を見ると普通の飯が使われているので、クラッを素材として用意
するのでなく、どうやら普通の飯を調理の中でクラッのような状態にすることからそう名
付けられたように思われる。

1970年代に作り売りが始められ、それがたいへんな人気を博して世の中のエリート階
層までが買って食べていたという話がある一方で、別の記事には、オランダ植民地時代の
1940年ごろのパサルガンビルで作り売りが行われていた話もあり、どうもひとつはマ
スの話をしており、もうひとつは草創期の話をしているようで、同じ平面に並べて正誤を
問うのは難しい。[ 続く ]