「ブカプアサとは?」(2022年03月04日)

ライター: オボル財団編集者、ヤンワルディ
ソース: 2015年7月11日付けコンパス紙 "Mengapa Berbuka Puasa?"

「berbuka puasaとmenutup puasaのどちらが正しいのですか?」
インドネシア語シソーラス編纂者エコ・エンダルモコはひとりの少年が放った質問に言葉
を失った。同じ質問はずっと昔に、インドネシア語メーリングリストの中で問われたこと
がある。この問題には興味深いポイントがふたつある。

ひとつは、「プアサを閉じる」という表現の方が順列型思考法ではあたかもより論理的に
見えることだ。確かに、太陽が昇る前から日没までプアサを行ってからプアサを終えてい
るのは事実なのである。

もうひとつは、どうしてbukaの語がpuasaに使われたときにだけber-という接頭辞を採る
のかということがらだ。一般にbukaの語の接頭辞は、membuka mata/baju/toko/warungな
どの例のように、me(N)-が使われているではないか。わたしはここで、そのふたつのポイ
ントについて考察してみようと思う。


KBBI第四版217ページに見られるように、bukaはme(N)-とber-の両方の接頭辞を採
ることができる。つまりこの語は同音異義語の性質を持っているということになる。その
ページの語義(2)にはminum atau makan pada petang hari (biasa ditandai masuknya 
magrib) untuk membatalkan puasa sesudah berpuasaと書かれていて、これは明らかに語
義(1)にあるterbuka, jarak lebarとの関連性を示している。(1)の語義から(2)
の語義である「口をあけて行う飲食」への関連性が生じるのだ。

ただ、KBBIのこの(2)の語義設定は、現実にbukaの語がpuasaと組み合わさった時
にだけ起こるというポイントを踏まえるなら、きわめて不自然な印象を受ける。bukaとい
う言葉だけを採り上げてそのような説明がなされるべきでなく、その説明はbuka puasaと
いう熟語の中でのbukaの語義として解説されるべきではないだろうか。言語使用における
実用面でbukaという単語だけが取り上げられることはあり得ても、辞書というコンテキス
トにおける語義はレクシカルな語義であってしかるべきもののはずだ。


最初のポイントに戻ろう。インドネシア語の中でbukaの語が必ずtutupと対になって使わ
れているわけではない。buka bajuやbuka sepatuの対義語としてのtutup bajuあるいは
tutup sepatuが使われている例にはお目にかからない。だから、熟語buka puasaの対義語
としてtutup puasaが使われていない状況は何らおかしなものではないと言える。

berpuasaという行為が順列的に行われるものとされていないのは、プアサを開始すること
を指してmembuka puasaという表現が使われていないことがそれを証明している。それが
ためにプアサを終了することにmenutup puasaという表現が使われず、その代わりに「夕
方に飲食する」という意味を持つbuka puasaという言葉が疑似熟語的に通用しているので
ある。KBBIはそこでの意味を語義として採り上げている。これが第一のポイントに対
する答えになる。


membuka warungやmembuka tokoなどのように、どうして接頭辞me(N)-でなくてber-が使わ
れているのかという第二のポイントについては、buka puasaが名詞熟語であるという点か
ら答えることができる。つまりbuka puasaはbuka tokoやbuka warungなどの動詞句とは違
っているということなのだ。

buka puasaが名詞熟語であるなら、接頭辞ber-が付いた形のberbuka puasaになって当然
だろう。それはberibadah, berzakat, berpuasa, berdoaなどのように、「その行為を行
う」という意味で名詞にber-を付ける文法パターンと同じなのだから。berpuasaはプアサ
を行う意味を表し、berbuka puasaはbuka puasaを行う意味を示している。これで第二の
ポイントも言語面からの説明がついた。


言語はそのようにシステムを持っているから、問題が起こっても文法的に説明することが
できる。もし文法的に説明がつかない問題があった場合、それは文法法則から外れた形態
をしているのではないかという疑いがまず湧き起こって当然だ。その逸脱した形態は普通、
同一パターンの諸語彙との間に矛盾を引き起こすからである。