「ジャワ島の料理(82)」(2022年03月09日)

ブタウィ人のントン・サルワニさんは23歳のときからクラットゥロルの作り売りを始め
た。「わたしゃ生まれ変わったとしても、この商売をやるでしょうなあ。これしかできる
ことがないから。」ひ孫を6人持つサルワニさんはそう言う。

かれは百人を超えるブンチッ地区のクラットゥロル売りのひとりだ。午前7時ごろ商売道
具を持って出かけて行き、15時ごろに家に帰って来る。週日の5日間はオティスタ通り
の銀行のそば、土曜日はカンプンムラユのアタヒリヤ、日曜日はスナヤン。しかし伝統祭
日は行き先が変わる。イムレッはバンテンのポルトガル要塞、ジャカルタフェア期間はフ
ェア会場、イドゥルフィトリはカレッ墓地。

かれは父親から作り方を教わった。かれの子供たちもかれから作り方を習った。しかしか
れの子供たちはジャカルタフェアの時しかこの仕事をしない、とかれは言う。

やはりワルンブンチッのブタウィ人でクラットゥロル売りのひとり、ラッマッ・アブドゥ
ル・ガニさんはポンドッバンブのヘロースーパーマーケットでクラットゥロル商売をして
いる。かれの息子は小学5年生のときにクラットゥロルを上手に作ることができた。ブン
チッのブタウィ人社会では、クラットゥロル作りが伝統と化している。


ブタウィのクラットゥロルはナシウラムのブンブである干しエビ・塩・胡椒と他のスパイ
ス、そして煎ったヤシの果肉スルンデンを使う。卵は鶏卵よりもアヒルの卵がおいしい。
おいしさは決して使われる素材だけが生み出すものでない。飯と卵とブンブ類を、火にか
けた鍋の中で手際よく均等に混ぜなければならない。ぐずぐずしていれば飯と卵が乾いて
しまい味が濃い部分と薄い部分に分かれてしまう。

「あるとき、ひとりのブレが作っているわたしの手元をじっと見ていたんで、ひとつ作っ
てやりました。『ブタウィのピザだ。無料だからひとつどうぞ。』そのブレはそれをムシ
ャムシャ食べて、気に入った顔をして、なんと10個も注文しましたよ。」
ブタウィのクラットゥロルは世界中のだれの口にも合う食べ物だ、とサルワニさんは主張
している。


ブタウィ人でこの商売をしているのはブンチッの住民がほとんどで、あとはマンパンやト
ゥガルパランの住人だ。他の地区に住むブタウィ人は滅多にこの商売に入らない。いった
いどうしてそうなのかよく分からない、とブンチッのブタウィ人が語っている。ブタウィ
人のクラットゥロル売りは、だから百数十人しかいないということになる。

一方、ジャカルタフェアのクラットゥロル売りは何百人もいる。つまりジャカルタフェア
のクラットゥロル売りのほとんどはブタウィ人でないということをそれは意味している。


2000年のジャカルタフェアでは150人のクラットゥロル売りが会場で店開きし、会
場メインゲートから裏庭まで列をなした。クラットゥロル売りにとってジャカルタフェア
は待ちに待ったビジネスシーズンなのだ。30日間、毎日たくさんの人間が集まってきて、
大勢の消費者に毎日商品が売れる。この催事がなければ、かれらは毎週土日の夜だけ繁華
街に出て来て商売するだけになる。平日は別のことをして金を稼がなければならない。

ブンチッのブタウィ人ロッマニさんは、祖父以来の家業になったクラットゥロル売り商売
を1975年に始めた。2000年のジャカルタフェアにもかれは参加した。ジャカルタ
フェアでは卵を一日に5キロ使うとかれは語る。卵1キロで15人前が作れる。1人前の
値段は3千5百ルピアだ。


ところが、ジャカルタフェアがクラットゥロルの大スポンサー役を果たしているために、
その商機にあずかろうとする人間が増加した。その他地区に住むブタウィ人は元より、ガ
ルッやタシッマラヤなど西ジャワ地方から、更にもっと遠い中部ジャワのひとびとまでも
が、ジャカルタフェアのクラットゥロル売りになって会場とその周辺を埋め尽くすように
なった。

ブンチッのオリジナルクラットゥロル売りが言うには、かれらは材料にオリジナルと違う
ものを使って売値を廉くしているから、本物の味よりも劣っているとのことだ。ところが
消費者はクラットゥロルを普段から食べておらず、ジャカルタフェアにやってきて食べて
みようと思い、値段の廉いものを買う。そして本物でないのを食べて、クラットゥロルと
はこんなものなのだ、と思ってしまう。[ 続く ]