「ジャワ島の料理(84)」(2022年03月11日)

出稼ぎクラットゥロル売り人たちはフェアの期間中、クマヨラン地区の屋外で寝起きして
いる。行政側の地区管理上の公認を得るために毎日5千ルピアを納め、地区監督ポストに
毎日1千ルピアを納めてトイレと浴場を使わせてもらっている。朝になると、一晩中商売
のために客待ちをしていたかれらが地区監督ポストに集まって来て水浴し、そして睡眠を
取るのである。

かれらに商売道具を用意してやってかれらからストランを徴収している、クマヨラン地区
周辺に住んでいるジュラガンたちが、かれらと行政の間をコーディネートしている。出稼
ぎ人はジュラガンにコンタクトし、すべての商売道具を用意してもらって会場内もしくは
路上に出る。だからかれらは身一つでやってくればよい。一方、すべての商売道具を自分
で持って来るのはブタウィ人だ。ブタウィ人はたいてい、フェア会場の中で商売している。
会場内でホンモノを味わえるのなら、値段が高いのも仕方あるまい。


ブタウィの名を冠した軽食のひとつにasinan betawiがある。
東ジャカルタ市ラワマグンのタマンカンボジャ通りにあるアシナンのワルンはハジマンシ
ュルが1980年代に自宅でオープンした店だ。ブタウィ人のハジマンシュルは1965
年からアシナンの巡回販売を始めたが、住宅地区がまだ少なかった時代だったから、かれ
はジャティヌガラのパサルまで広い地域を歩いた。売れる商品作りを体得したら、店を構
える方が効率が良い。「買ってください」をする立場から「売ってください」を受ける立
場に変化するということだろう。

このワルンはアシナンカンボジャという異名の方が売れている。メニューは野菜のアシナ
ンと果実のアシナンのふたつだけ。ブタウィ人は野菜の方がお好みのようだ。

モヤシ・キャベツみじん切り・キュウリ・サラダ菜みじん切り。野菜はすべて新鮮だ。し
おれたものはない。それらが生豆腐のダイス切りと一緒に皿に置かれ、上からクルプッミ
ーと紅クルプッで覆われる。その上から粒ピーナツの混じったピーナツソースがかけられ
て、最後の仕上げはヤシ砂糖の濃い液体が注がれる。

ハジマンシュルのアシナンカンボジャはラマダン月になると他のシーズンの二倍売れる。
普段、ワルンは午前9時から22時まで開いているのだが、ラマダン月は午前11時から
19時まで開店する。それでいて販売量が二倍なのだ。ラマダン月の経済が他の月とどれ
ほど違っているかをそれが如実に示しているようだ。特にブカプアサの時間の前になると、
客が集まって来てひしめき合う。みんなはアシナンを買って帰って、自宅でブカプアサを
行うのである。だからほとんどの客が数人分を注文するのだ。時間がかかるわけだ。

店主は常に新鮮な野菜を使うから、調理場の野菜が減ってきたら手伝い人は野菜を買いに
走らなければならない。萎びた野菜を出したらその客が二度と来ないことを店主は熟知し
ている。

このワルンに来る客はラワマグン近辺の住人ばかりでない。都内のあちこちからブカシま
で、さまざまな場所からやってくる。しかも必ず数人分を買って帰る。10人分買うよう
な客もざらにいる。客のひとりは、パレンバンの親戚の家に一度アシナンカンボジャを土
産にしたおかげで、パレンバンへ行くときは毎回それを頼まれる始末になったと語る。
「たいてい20袋くらいを持って行くのが普通だ。あるときうっかりこの土産を持参する
のを忘れたことがあって、たいへんだった。みんなわたしを冷たい目で見るんだから。」

アシナンブタウィは元々、酢を辣くした、さらっとした透明の汁が使われていたそうだ。
今ではピーナツソースを混ぜるのが普通だ。アシナンカンボジャでは、ピーナツを炒めて
茹でたトウガラシと一緒にすり潰し、それと酢・塩を混ぜる。それを野菜にかけ、最後に
ヤシ砂糖溶液をかけている。


2005年にジャカルタのホテルイビス=アコーが開催したイビスストリートフェスティ
バルで、カキリマのアシナンが催事の目玉になった。アシナン作り売り屋台の料理人を集
めてアシナンを作らせ、その出来を評価しようというのである。おまけにギネス世界記録
のインドネシア版MURI(インドネシア世界記録博物館)をこの催しにからめ、大量の
生野菜料理を作った世界記録にしようというアイデアまで付け加えられた。

コンテスト一位の栄冠はメンテン地区カラワン通りに屋台を置いているアルソさん26歳
の頭上に輝いた。二位になったのは西ジャカルタ市ラワブロン市場に屋台を置くハサンさ
ん76歳だった。[ 続く ]