「ジャワ島の料理(85)」(2022年03月14日)

世界記録のほうは、キャベツ600キロ、モヤシ300キロ、豆腐150キロ、白菜漬物
150キロ、キュウリ300キロ、ピーナツ75キロ、ヤシ砂糖100キロ、白砂糖10
0キロ、トウガラシ60キロ、干しエビ5キロ、酢60リッター、塩5キロ、その他のス
パイスが用意されたものの、目指す2千キロの世界記録は実際に1,630キロに終わっ
てしまった。それでもインドネシア記録の認定書は与えられた。

フェスティバル主催者はアシナンにスポットを当てたことについて、アシナンブタウィは
もっと世間に知られ、食されてよい食べ物であり、カキリマで販売されているために汚い
とか不衛生といったイメージのせいでジャカルタを訪れる観光客が滅多にトライしないも
のになっているので、この食品がもっと認知されるよう焦点を当ててみた、と語っている。
このフェスティバルにやってきた市民や観光客はアシナンブタウィを大いに堪能したよう
だ。


ラワブロン市場にアシナンブタウィ屋台を置くハサンさんは純粋のブタウィ人であり、1
943年にこの仕事を始めた。当時まだ14歳だったかれは親の仕事を手伝いながらアシ
ナン作りを見習い、数年後に親の承諾を得て独立した。

最初は荷を担いで巡回販売し、屋台車が持てるようになるとそれを押して回った。そして
ラワブロン市場に場所を得て、地代を払って屋台を定置させた。かれは5人の子供を育て
たが、商売が流行って毎日売り切れになっても、アシナンの単価はあまりにも安すぎた。
ソト商売が繁盛したおかげで、子供を大学までやり、自分もメッカ巡礼を何度も行ったひ
とたちとは大違いだ。


やはり70年近く続いているアシナンブタウィのワルンが南ジャカルタ市サハルジョ通り
Gang Sadarにある。祖父のキディンさんが始めたアシナン商売をその子孫が継続させてい
る。昔の地名を取ってアシナンJembatan Merahという名前で呼ぶ年寄りもいるが、キディ
ンの名前で呼ぶひとも多い。ジュンバタンメラという地名は今ではJl Menteng Puloに変
わっている。

アシナンブタウィキディンは他のアシナンと違っていて、モヤシ・キャベツ・サウィチナ
・キュウリ・豆腐をトウガラシを入れた酢に漬けておくのである。それを皿に盛り、上か
ら炒めピーナツを振りかけてからヤシ砂糖溶液・サンバル・塩・漬け酢を混ぜたものをか
けて供される。


dodolという菓子はヌサンタラのあちこちにある。白モチ米粉・黒モチ米粉・ヤシ砂糖・
白砂糖・老いたヤシの実のココナツミルクを混ぜ、薪火で長時間煮込んで作るおやつだ。
ドドルを羊羹にたとえるひとが時おり見受けられるのだが、アズキ豆で作られる羊羹とド
ドルは味覚がまるで異なる。米粉を使う羊羹もあるにはあるが、わたしの感覚だと外郎の
方により近い気がする。ドドルは水分がほとんど飛ばされているから、羊羹や外郎よりも
湿り気が少ない。その点ではキャラメルに近いとも言える。

全国各地の名産品の中でも有名なのは西ジャワ州ガルッで作られるdodol garutだろう。
中でもPicnicブランドのドドルが高い評判を得ている。ガルッのドドル史によれば、19
26年にカルシナという名の事業家が製造を始めたのが、ドドルガルッの起源だと言われ
ている。

ピクニックブランドのドドルは最初、ふたりの兄弟が1950年代にドドルの製造販売を
開始し、ピクニックという屋号の雑貨屋に商品を置かせてもらったところ、大いに売れた。
その結果、ピクニックがそのドドルの商標になってしまった。

今では350人を雇用する工場になり、ドドル生産のため一日にモチ米を2〜3トン消費
している。ラマダン月にはそれが4〜5トンに膨れ上がるそうだ。

パイナップルの産地である西ジャワ州スバンでは、パイナップル入りのドドルを生産して
売り物の多様化をはかっている。パイナップルは細かくすりおろして他の材料と混ぜ、火
にかける。

スマトラ島でもドドルが作られていて、やはりパイナップルの産地である西スマトラ州で
もパイナップル入りドドルが生産されているし、北スマトラ州スルダンバダガイ県のパサ
ルベンケルにはたくさんの小規模生産者がいて、ドドル生産がその地方での産業のひとつ
になっている。[ 続く ]