「ジャワ島の料理(86)」(2022年03月15日)

dodol betawiはブタウィ人にとって、イドゥルフィトリやイドゥルアドハの祝祭に欠かせ
ないおやつのひとつとされていて、ラマダン月にもブカプアサの軽食によく食べられてい
る。ブタウィ人が祝祭に欠かせないものとしていた昔の時代は、住民がたいてい自分でそ
れを作っていたそうだ。

まず男がヤシの実から果肉を取る。女が果肉を削って搾り、ココナツミルクを作る。更に
白モチ米と黒モチ米をつぶして粉にし、材料を全部大鍋にいれて火にかける。薪の火は温
度を適正な範囲に保たなければならず、また煙が出てもいけない。煙が鍋の中身にかかっ
たら、味のまずいドドルができあがってしまうのである。

鍋の中身は、温度が上がってきたらかき混ぜる。かき混ぜ作業は休みなく8〜12時間続
けられる。最初は女が混ぜるが、水分が減って来ると粘り気が増して重くなり、女の力で
は困難になるから、男に交代する。男は水分がほぼ飛ぶまで、鍋をかきまわし続ける。昨
今のドドル生産者はかき混ぜ作業が4〜6時間で済んでいるようだ。ドドル生産者はたい
ていが家内工業だから、かき混ぜ作業も昔ながらの人力が使われている。

黒茶色の粘性の高いカラメル状のものができあがったら、平たい容器に置いて冷まし、最
後にそれを適度な大きさに切り分けて包む。そんな手間のかかるものを昔は各家庭が、あ
るいは数戸が協力して作っていたのだが、今では商業用に作られたものを買いに行くひと
の方が圧倒的多数になってしまった。


南ジャカルタ市東プジャテン地区のある生産者の家では、ラマダン月が近付くとドドル生
産に大車輪がかかる。それまではモチ米粉20キロほどの生産量だったというのに、ラマ
ダン月の準備期間に入ったとたん、生産量は3倍になる。普段は一日一回、大鍋をかき混
ぜればよかった従業員は、それを毎日二回行うことになる。

ラマダン月の前からイドゥルフィトリの前までの期間に、モチ米粉2トン・ヤシ砂糖1.
5トン・白砂糖2トン・ヤシの実7千個が消費されて、4千besekのドドルブタウィが生
産される。そしてイドゥルフィトリの数日前に4千ベセッの商品は完売になる。

ベセッというのは竹編みの箱のことだが、この生産者は小型丼大のプラスチック容器をベ
セッと呼んでいる。ベセッにプラシートを敷いて成形し、固まったらプラシートで包むの
である。

南ジャカルタ市に住んでいるブタウィ人は、ドドルを作り売りしている家が多い。特にラ
マダンからイドゥルフィトリにかけての季節になるとドドルブタウィの需要が激増するの
で、その時期だけドドルを作る季節生産者になっている者も少なくない。パサルミングの
ある家は、シーズン期間中に640ベセッのドドルを作る。クバグサンにある別の生産者
もその季節になると、一日に10リッターのモチ米・10キロのヤシ砂糖・6キロの白砂
糖を使ってドドルを24ベセッ作る。


東ジャカルタ市チョンデッのバトゥアンパルに住むマシトさんはBu Mamasブランドのドド
ルブタウィ生産者だ。ブママスの名前はチョンデッ地区で既に定評を得ている。かの女が
ドドルの作り売りに関わるようになったのは1990年代だった。

パサルミングでドドルの作り売りをしている夫の両親が、チョンデッに住んでいるかの女
夫婦にチョンデッで製品を販売するように求めたのである。パサルミングでドドルが作ら
れると、かの女はそれを取りに行き、チョンデッに持ち帰ってはあちこちのワルンに委託
販売を依頼した。それにたいへんな時間が消費されたにもかかわらず、その報酬は微々た
るものだった。かの女はあるとき意を決して夫の両親にその窮状を訴え、自分がチョンデ
ッでドドルを作ることを承諾してもらった。

それ以来、かの女は毎日早朝にクラマッジャティ市場に出向いて米とヤシの実を買い、米
を挽いて粉にし、ヤシの実を開いて果肉をすり下ろさせ、それを持ち帰ってドドル作りを
行った。そんな日々が何年も続き、かの女が名付けたブママスのブランド名が徐々に消費
者の記憶に入り込んでいった。

ラマダン月が近付いて、大鍋一杯分の注文が入った。かの女はチルボンに注文して銅製で
重さ20キロの大鍋を買った。鍋にはモチ米10リッター分・ヤシの下ろし果肉30〜3
5個分、ヤシ砂糖1.5〜2箱分が入る。ドドルクタンだけでなく、ドリアンやナンカチ
ュンプダッなどの果実を混ぜてバリエーションを作ることもある。[ 続く ]