「ブルカ」(2022年03月14日)

ライター: 短編作家、レイニー・フタバラッ
ソース: 2011年9月9日付けコンパス紙 "Berkah"

だれもがberkah(またはberkat)を望むが、だれでも他人をmemberkatiして良いわけでは
ない。アラブ語barokahに由来するインドネシア語berkahは人間生活に善をもたらす神の
恩寵karunia Tuhanを意味している。それがKBBI第四版の説明だ。同義語としてrahmat
がある。1945年憲法序文には、Atas berkat rahmat Allah Yang Mahakuasa.......
maka rakyat Indonesia menyatakan dengan ini kemerdekaannya.と記されている。そう
であるから、berkahは神の手にあるものごとを示すものとなるのである。もちろん人間関
係の中で生じるものであっても、宗教的なニュアンスが意識されるかぎり、不自然さは感
じられない。

Pengemis itu memberkati kepala sekolah.のような用法はなされない。pengemisとkepala 
sekolahは異なる社会階層に属しているからだ。乞食は他人の憐憫に依存して生きているた
めに社会の最下層に置かれている。おまけに神性を代表したり、神の性質を持っているわ
けでもない。 ましてや乞食が学校長に何かをプレゼントすれば、不公正感が生じる。そ
の行為に搾取や賄賂の感触を抱く者も少なくあるまい。

神の代理権を持つ者と認められているために、聖職者は女王と王の婚姻をmemberkatiする
ことができる。社会政治経済面で聖職者の地位は王や女王より低いが、宗教面では王や女
王よりも上位にいる。王も女王も聖職者の功績に対してanugerahとしての勲章を与えるこ
とは自然だが、神の行為であるmemberkatiを王や女王が聖職者に与えるのは主客転倒だ。

anugerahはKBBI第四版によれば、上位者が下位者に与える表彰や褒美と説明されてい
る。anugerahはkarunia Tuhanと同じカテゴリーに入るものの、berkahやrahmatと同じよ
うには使えない。memberkatiは宗教上での特別な権限なのであり、政治経済分野には存在
しないのだ。


「Berkah Ramadhan, Diskonnya Gede-gedean」携帯電話とモデムの宣伝コピーにそんな文
句が記されている。ラマダン月の特別割引セールがhadiahプレゼントとして意図されてい
るところだ。hadiahとは金銭・物質・品物・サービスなどの形を取る褒美であり、メーカ
ーは価格割引やボーナスを購入者に与える。berkahの語がdiskonと並列に置かれて、割引
がberkahの一部にされているのは、berkahが健康・叡智・篤信・誠意・賢明その他さまざ
まな人間生活の中の善を指しているからだ。多分この宣伝コピーはberkahがdiskon gede-
gedeanと並列に置かれたことの結果への配慮が抜け落ちていたのだろう。宗教上の権限を
私物化し、berkahの語を単に商品の魅力を煽るための道具にしてしまったのだから。

時おりマスメディアが神聖視された墓・樹木・石・特定の動物などにberkahを願うひとび
とに関するストーリーを提供してくれる。かれらはそれらを神と同一視しているのだ。た
とえ神より一段格落ちするとしても。あるバーチャルニュースサイトが「行楽パークの存
在が地域経済を好転させ、周辺住民にberkahをもたらした」と書いたとき、問題が起こっ
た。行楽パークは経済収入の増加を図って人間が作ったレクレーション施設である。利益
の増加も人間生活にとっての善を招来することは間違いない。ただし、周辺住民にberkah
を与えるのは行楽パークの行為ではないのだが。