「ジャワ島の料理(87)」(2022年03月16日)

年を重ねるにつれて、ラマダン月の注文が増加した。今では、16個にまで増えた大鍋を
使って鍋5百杯分を需要シーズン中に作っている。米の精粉機もヤシの果肉下ろし機も取
り揃えてある。繁忙期には35人を雇って大車輪の生産を行っている。

美味しく柔らかいドドルを作るのは、薪火でなければだめだ、とかの女は言う。木を焼い
て高い温度にすることが重要であり、ガス火ではよいドドルが作れないそうだ。だからか
の女のドドル製造場に毎日薪が運ばれてくる。ラマダン月になると生産量が激増するから、
ピックアップトラック30台分が必要になる。薪を欠かすと、いくら材料がそろっていて
も生産がストップしてしまうのだ。

このドドル事業でかの女は6人の子供をすべて高卒にした。「なんで大学までやらないの
かですって?そりゃあ本人の希望次第ですよ。本人がその気なら何も問題ありません。た
だね、ブタウィ人の脳みそはあんまり大学教育に向いてないようだから・・・」

とは言っても、かの女は子供たちが実生活の中で成功することを強く望んでいる。できれ
ば子供ひとりひとりに店を持たせてやり、それを足場にして子供たちが自力で伸びて行っ
てくれるようにしてやりたい、と。成功者になったひとりのブタウィ人母親が示す子供へ
の愛情がそれだろう。


東ブカシのブカシジャヤ町にある一軒の家の作業場で、薪火の上に置かれた大鍋をひとり
の男が舟を漕ぐ櫂のような道具でかき混ぜている。soletと呼ばれる櫂状のかき混ぜ棒は
アレンヤシの幹から作られたものだ。別のひとりがときどき、火の具合を調節している。
大きく燃え上がらないように、小さくならないように。

大鍋に入っているのはモチ米粉6キロ、ヤシ砂糖と白砂糖12キロ、ココナツミルク8リ
ッターから成るドドル。作業が終われば17キロのドドルクタンができあがる。中身がプ
ラスチックスプーンにくっつかなくなったらできあがりだ。かき混ぜ作業は6時間続けら
れる。

かき混ぜているのはその家の主、ソキムさん。かれはドドルブタウィを作っているのだが、
ブタウィ人ではない。出身は中部ジャワ州ブルブスBrebesだ。G30SPKIの騒動で、
ブルブスにいては危ないので都会に出て来た。共産主義者であろうがなかろうが、邪魔な
人間や怨みのある人間をアカ呼ばわりして闇から闇に葬り去ることが横行し、田舎ほどそ
のリスクが高かったから、当時田舎に住んでいた人間は自分の身にいつ危険が降りかかる
かわからない恐怖を強く感じていた。

あの事件のアカ狩りで殺された人数不明のインドネシア人がすべて華人系、もしくはプリ
ブミを含む共産党員、あるいは活動的な共産主義者ばかりだったと本当に考えているイン
ドネシア人はいないだろう。


ソキムさんは1967年に上京してから習い覚えた技術でドドルブタウィを作ってきた。
ブカシのパサルバル一帯でかれはドドルブタウィ生産者のひとりとして社会的に知られて
いる。再販売するひとも、自家消費するひとも、直接かれの家を訪れて製品を買って帰る。
売り物が切れていれば、その場で注文する。

その日作っているのがこのラマダンシーズン最後の生産分だった。今年分の作業はもう終
わっていたが、注文が来たのでまた作ったのだそうだ。

ソキムさんは普段、パサルバルで野菜を売っている。ドドル作りは副業だ。しかもシーズ
ン中でさえ作業するのはニ三日に一回。たいへん体力を消耗するので、毎日できる仕事で
はないとかれは言う。

ソキムさんは故郷のブルブスの親戚を訪問するときにしばしばドドルブタウィを手土産に
する。田舎のひとたちはドドルブタウィを好む。田舎で作られるドドルは出来が粗雑であ
り、それに比べてドドルブタウィは柔らかくて甘いとみんなが言うそうだ。


ソキムさんが作るドドルブタウィは一見、陰暦正月の必需品kue keranjangに似ている。
福建語でTi Kwe甜?と呼ばれるクエクランジャンは、最初小さい籐の籠にドウを入れたこ
とでその名がついたというのが定説になっている。

ソキムさんはかつて一時期、クエクランジャンも作っていた。かれはクエクランジャンの
作り方を華人プラナカン女性から教わったそうだ。作り方が同じで、ひとつはココナツミ
ルクを使い、もうひとつはそれを使わないというだけの違いだったから、作ることの難し
さは何もなかった。だからブタウィ人はクエクランジャンのことを昔からドドルチナと呼
んでいた。[ 続く ]