「ジャワ島の料理(90)」(2022年03月22日)

反対にオランダ系プラナカンはブタウィ人の重要なルバラン食のひとつであるドドルが気
に入り、かれらの愛好するお菓子のひとつになった。特にコルネリス・シャステレインが
デポッに残したBelanda Depokと呼ばれる深く土着化したプラナカンが作るドドルブタウ
ィは評判が良かったそうだ。

ブタウィ人のルバラン食に不可欠なものはクエキジュ・ナスタル・ドドルそしてタペウリ。
華人の台所からやってきたタペウリもkacang gorengを連れて来た。中華料理の前菜に出
て来るあの塩炒めピーナツだ。これはオランダ人が好むレイスタフルにも欠かせないもの
になっている。

ブタウィ風ルバランの食べ物はルバランが終わるとその家から姿を消す。しかしその一部
はクリスマスやイムレッが来ると、また別の家に姿を現す。そして翌年のルバランが巡っ
てくれば、再びその家を訪れるのである。異なる肌の色、異なる風習や文化、異なる宗教、
そんなものを乗り越えてひとびとはそれぞれの祝祭を祝い合う。食べ物の中に映し出され
ているそんな姿をわれわれは目にしているのである。

ましてや、ブタウィ人が行うnganterの習慣は、地縁で結ばれた異種族・異宗教・異文化
のひとびとの間の社会交際を密度の高いものにした。人間が繋がり合うことを邪魔するも
のは何も無くてよいはずだ。

リサル氏が書いているブタウィ語nganterとは、祝祭などの機会に食べ物を贈り合うこと
を意味している。祝祭のために作った食べ物を親戚・隣人・知人に送り届ける風習だ。だ
れか個人に送り、その個人がお返しをするという狭い範囲でなく、社会的にもう少し広い
範囲で行われていて、みんなが複数の相手に送り、その相手の誰かからお返しが来なくて
も問題にしないという姿勢がそこにあった。


ブタウィ料理の中にも、スンダの伝統を汲む淡水魚料理がある。ところが、ブタウィ人居
住地区から川や池がどんどん姿を消したために、料理の素材が枯渇してしまった。今や都
内でブタウィ淡水魚料理を出してくれるワルンはどこにもなく、かろうじてブカシやタン
グラン・ボゴール県などのグレータージャカルタ周辺部に見つかるばかりになっている。
その懐かしのブタウィ魚料理の筆頭が多分、gabus pucungだろう。

その昔、シラッブタウィの使い手たちやお屋敷のトアンたちにとってガブスプチュンは日
常的なメニューであり、また一般庶民もラマダン月前やルバラン前の集いに出されるガブ
スプチュンになじんでいた。

プチュンとはクルワッのことで、ガブスプチュンの汁はラウォンのような真っ黒なものに
なる。ブンブには赤バワン・ニンニク・サラム葉・スレーと他のスパイス類が使われる。

ガブスはikan gabusという魚の名前だ。ガブス魚は学名をChanna striataと言い、日本語
ではプラ―チョンとなっている。ガブス魚はikan kepala ularとも呼ばれる、沼地や水田
の用水路をハビタットにしていた淡水魚であり、養殖の困難なこの魚をスンダ人はジャテ
ィルフルのダム湖で養殖している。養殖が難しいのは、この魚が共食いを盛んに行うため
だ。


タナアバン生まれのブタウィ人、チャンドラさん42歳は、少年時代をタングランのチプ
タッで送った。そのころかれは毎週母親が作ったガブスプチュンやガブスプチャッを食べ
て育った。家の近くの池や用水路でガブス魚はいくらも獲れた。それを持ち帰ると、母親
が料理してくれた。

それを懐かしんだチャンドラさんが、チルドゥッ・デポッ・ブカシ一帯のブタウィ料理ワ
ルンを探し回ってみたものの、いまだに売っているワルンが見つからない。訪れたワルン
の中に「ある」という返事をした店もあったが、魚がコイやムジャイルあるいはグラメに
替えられたプチュン料理だったから、かれの興奮はつかの間の内に消え失せた。ずっと気
にかけているが、どこそこで売られているという情報すら得られないとかれは愚痴る。こ
の項は2013年の話だ。[ 続く ]