「ジャワ島の料理(91)」(2022年03月23日)

ガブス魚の旨味をかすかに覚えているクリスナワンさん39歳が最後にその魚を食べたの
は1991年のことだった。そのときかれは、クバヨランバルのスナヤン町プチャンドラ
ン部落に住む17歳の青年だった。

ウィディヤチャンドラ大臣官舎地区の裏手にあるグニョン沼がかれの遊び場のひとつにな
っていて、少年時代からよくそこで魚を獲り、持ち帰って揚げたりプチャッにして食べた。
ガブス魚もたくさんいた。

プチャンドラン部落住民の全員がその地を去ったのは、そこを含む広大なエリアがSCB
Dに変えられたからだ。スディルマン中央ビジネス地区建設は都市開発の一環だった。

引っ越した先の南ジャカルタ市プトゥカガンには池も沼もなかったから、クリスナワンさ
んの魚獲りは幕を閉じた。引っ越して以来、ガブス魚を食べたことがない。

東ジャカルタ市チャクンのウジュンメンテンに住むフィルダウスさん52歳は、今でもと
きどき北ブカシのバブランにあるブタウィ料理ワルンでガブス魚を食べている。1980
年代半ばごろまでは自宅周辺の用水路に魚がいっぱいいて、住民の獲り放題になっていた。

ガブス魚もたくさんいた。そのころは役場が毎年さまざまな稚魚を用水路に放っていたか
ら、数カ月経ってから住民は魚獲りをし、育った淡水魚を料理して食べていた。


ブカシ市ブアラン地区にガブスプチュンを供するワルンがある。Pondok Gabus Lukmanと
いう看板を掲げているそのワルンは1980年に開店した。店主のルッマンさんが196
0年から母親が営んでいた飯屋ワルンを改装したのだ。母親のメニューの中にガブスプチ
ュンがあったのはもちろんだ。ルッマンさんの妻が母親のワルンを手伝い、母親のメニュ
ーは全部その嫁に伝わった。その中で、ルッマンさんはガブスプチュンに光を当てたので
ある。

ガブス魚は若くてもいけないし、老いたのも美味しくない。この魚を処理するのは、まず
ウロコを落としてから頭と尾を切り離す。続いて、生臭みを消すためにabu gosokで胴を
こすると、見かけも黒っぽさが落ちて明るくなり、出来上がりの見映えが良くなる。アブ
ゴソッはもみ殻を焼いた灰のこと。昔は石ケンの代わりに使われていた。

この魚はアルブミンをたくさん含んでいて、人間の細胞の形成を促し、傷んだ肝臓を治癒
させる。ガブス魚の卵は精力増強の性質に富んでいて、性欲昂進を目当てに食べるひとも
少なくない。自分はガブス魚の卵に弱いとルッマンさんは言う。「あれを食べると、わた
しゃ頭がクラクラしてきて、いけません。」


ルッマンさんのワルンにはpecak leleやurap kencurなどのブタウィ料理もある。プチャ
ッのブンブはウコン・焼いた赤ショウガ・トウガラシ・赤バワン・焼いたオオバンガジュ
ツ・煎ったカシューナッツ・焼いたトラシ・酢・塩が使われる。

ウラップクンチュルはブタウィ風サラダであり、コスモスの葉・オオバンガジュツの葉・
モヤシ・バワン葉・刻みキャベツ・切った長豆・パパヤ葉・切ったニンジンを合わせてウ
ラップをかけたもの。ウラップはヤシの果肉フレーク・オオバンガジュツ・赤バワン・ニ
ンニク・トラシ・コブミカン葉・塩で作る。


ある日、チャンドラさんからコンパス紙記者に電話が入った。ボゴール県チセエンで生き
たガブス魚を売っているところを見つけたという情報だ。記者はさっそくオートバイでそ
の店へ取材に向かった。

舗装の皆無な泥穴だらけの道を走っていると、グヌンシンドゥル通りの一軒のワルンで軒
先に水を張ったプラ袋を吊り下げている店を見つけた。十匹を超える生きたガブス魚がい
くつかのプラ袋に入っている。

店主の話を聞くと、チセエンにガブス魚獲りがいて、パルン・ボゴール・デポッのブタウ
ィ料理ワルンに漁果を売り、残る一部をワルンに売っているとのことだった。記者はパル
ンでガブス料理を作っているワルンに直行した。

パルンのルバッワギ通りにある食堂ガブスプチュンマッアベンに入った記者は、そこが淡
水魚料理の天国であることに驚いた。川・沼・池・水田用水路などにいるさまざまな魚の
メニューが満ちあふれている。ガブス魚やタウェス魚など種々の淡水魚を揚げたものがテ
ーブルに置かれていて、客は食べたい魚を指定して料理の種類を言う。たとえばタウェス
を指さして、プチャッにしてくれと言うのである。[ 続く ]