「ジャワ島の料理(92)」(2022年03月24日)

タウェスのプチャッを注文されたら、店員はすぐにトウガラシ・赤バワン・ショウガ・ナ
ンキョウ・オオバンガジュツを粗くすり潰し、熱湯を足したあとに塩・砂糖を加え、ライ
ムの搾り汁をそこに混ぜた。そうやって作った汁を揚げたタウェスにかけるだけで、フレ
ッシュな味覚のプチャッタウェスができあがる。ブタウィ人は魚の他にも、テンペ・オン
チョム・鶏肉・ナスなどを素材にしてプチャッ料理を作っていた。しかし旨味においてガ
ブスに勝るものはない、とだれもが言う。

一方のガブスプチュンは、既に作ってあるプチュンの黒い汁を椀にいれ、バワン葉の細切
れとバワンゴレンを加えて揚げたガブスにかける。それだけで食べ応えのあるガブスプチ
ュンができあがる。

店主のマッアベンさんは、ガブスやタウェスを使う淡水魚料理の食堂がいつまで続けられ
るのか分からないと、将来性の失われた商売をわびしく語った。ガブスやタウェスの入荷
量が低下の一途をたどっていることが苦になるのだ。ガブス獲りの納める量は多くてせい
ぜい5キロ程度。昔は毎回10キロを超えていたというのに。


チセエンでガブス魚獲りをしている人物はブタウィ人のエディ・プトルさん42歳だった。
かれはガブス漁の取材に快く応じてくれた。ガブス漁に同行した記者は、遠い昔のブタウ
ィをほうふつとさせる環境を目の当たりにした。道はすべて地面のままで、沼や池があち
こちにあり、水田が広がり、川の水量は多く、そして流れは速い。ガブス・ブルッ・ブト
ッなどがまだたくさんそこに棲んでいる。

エディさんがガブス魚獲りの稼業に入ったのは、1985年に勤めを解雇されたためだっ
た。何をして食って行こうかと考えあぐねたあげく、ガブス魚獲りに思いが至った。川へ
釣りに行ってみたところ、大きいのが25匹も獲れた。行くたびに、漁果の重さは5〜1
0キロくらいになった。

たくさん獲るために、夜の間に釣り針を百本くらい仕掛けておいて朝それを引き上げに行
く方法も使った。なんと50匹ほどの成果が得られた。そのようにして、一日に12.5
万ルピアもの収入をかれは得ていたのだ。しかしその時代はいつの間にか過ぎ去ってしま
った。今では、ガブスを2キロ手に入れるだけでも、たいへんな時間と労力が必要になる。
「川や沼を端から端まで歩いて、腰がねじ曲がってしまうよ。」


ガブス漁の取材の日が来た。太陽が昇ってチセエンの朝もやが薄れ始めたころ、エディさ
んと助手のアリフさんがガブス漁の準備を終えた。電池の納められている木箱を背負う。
木箱から出たコードが手に持った木の棒につながっている。棒の先は金属だ。ボタンを押
すと金属から火花が散った。もうひとつの手は大きいすくい網を持っている。

エディさんとアリフさんは一台のオートバイで漁場に向かった。田舎道からチセエン街道
に出ると、こんな早朝なのに大通りはトラックやオートバイで賑わっている。しばらく街
道を走ってから、チドコム村の石だらけの道に入った。両側の水田や畑は、住宅地になる
のだろうか、埋め立てが進んでいる。ふたりは道の奥まで行ってオートバイから降りると、
水田のあぜ道を歩き出した。水田の一番端が川岸になっていた。水の流れには勢いがある。
ふたりはそのまま水の中に入って腰まで浸かった。

しばらく水面をじっとにらんでいたエディさんは、左手に持った電気棒を川岸の窪みに差
し込む。5カ所目にやっと、電気ショックを受けて気絶したガブス魚が一匹捕まった。
15センチほどのガブス魚をすくい取ると、それをアリフさんが持っている水の入った石
油缶に入れる。「魚を死なせちゃいかんのだ。死んだら売れなくなる。」エディさんはそ
う言う。

半時間ほど川の中にいたが、獲れたのはサイズの小さいものが2匹だけ。ふたりは相談し
て、別の川へ行くことにした。川から上がると、またあぜ道を歩き、用水路を跳び越える。
結局、3時間かけてその日得られたガブス魚は、小さめのものが4匹だけだった。

ガブスが減って相場が高くなり、捕獲者の売値がキロ3万ルピアになった。すると捕獲者
が増加し始めて、減った獲物の奪い合いになってきた。自分が顔を知っている者だけでも、
チセエンで10人がこの仕事をしているとエディさんは言う。[ 続く ]