「巡回物売は往年の風物詩」(2022年03月29日) ライター: ブタウィ文化人、SMアルダン ソース: 2005年12月6日付けコンパス紙 "Sop Lekker...Apa Itu?" バタヴィア時代のジャカルタで、物売りが売物を担いで売り歩く光景は普通のものだった。 その中には食べ物もたくさんあった。物売は売物の名前を大声で叫んで歩いた。「ピサン ゴレン〜〜」というように。 至るところにたくさん出ていた物売の商品はnasi udukやketan urapが多かった。ブタウ ィ人の口がダジャレを発した。Kakilu buduk tanganlu kurap.(訳注:budukもkurapも皮 膚病の一種で、ひとつは膿が出る、もうひとつは痒みが激しい) tape uli売りが売物の名を叫ぶと、どこかからこだまのようなものが返って来た。「cape kuli!」苦力仕事をすりゃ、そりゃ疲れるだろう。歩き回って疲れた物売はときどき、ワ ルの巨木の下の日陰に入って休憩する。そこにはきっと、soto betawiやsop kaki kambing 売りの先客が店開きしていたにちがいあるまい。 タナアバンのソップカキカンビンの由来譚にはこんなものもある。最初ヤギの脚は解体場 所で、廃棄物として捨てられていた。それをもったいない浪費だと考えたひとりのハジが 有効利用に挑戦した。ヤギの脚を茹でてブイヨンをとり、それでスープを作って売った。 売物の呼び声をどうしたか?「sop ... lekker!」ハジはなんと、タナアバンからクウィ タンまで売り歩いたのである。(訳注:レッケルとはオランダ語でおいしいの意味だが、 オランダ語が分るプリブミは滅多にいなかった) 徐々にこの珍しい食べ物にファンが付いて、ハジは遠くまで歩き回る必要がなくなった。 タナアバンの中で売り切れるようになったのだから。人気が高まると、レッケル売りが続 々と増加し、無料で手に入っていたヤギの脚がそのうち有料になった。 レッケル売りはたいてい、タナアバン市場に場を占めた。1950年代になってからSta- dion Ikadaでサッカー試合が催されるようになり、レッケル売りは試合があるとモナス広 場に居並んだ。ヌサンタラ各都市の代表クラブが雌雄を決する試合はもとより、PSSI 全国代表チームが外国のチームと対戦する日などは観客がイカダ競技場に押し寄せてきた。 観客たちはまずレッケルを食って腹ごしらえしてからサッカーゲームに熱狂した。 1962年8月にスナヤンのグローラブンカルノが公式オープンして、イカダ競技場は解 体された。しかしレッケル売りはブンカルノ競技場に座を移さなかった。かれらが移動し た先はメンテンのサッカー場だったのである。スナヤンで大きい試合がある時だけかれら は出張したが、メンテンのサッカー場周辺には毎日レッケル売りが店開きした。(訳注: メンテンサッカー場は2006年に解体されて、今ではメンテン公園になっている。) レッケル売りたちはメンテンの中心部からブロラ通りに移り、そこからまたメンテンのは ずれのスムヌップ通りに移って現在に至っている。かれらはそれぞれの場所に店開きして やって来る客を待つばかりとなり、すでに「ソップ・・・レッケル!」と叫ぶ者はいない。 二輪四輪の車で遠くからやって来る客もいる。その中には、メンテンやスナヤンのサッカ ー場時代に味を覚えたファンも混じっているだろう。売られている品も脚だけでなくなっ て、torpedoやらあれやこれやも売られていて、さながらスーパーマーケットに来たみた いだ。(訳注:ここでのトルペドとは男性器のこと) toserba(toko serba ada)もジャカルタになる前のブタウィ時代から町中を歩き回ってい た。(訳注:トセルバとはあらゆる品物を販売している雑貨店のこと。スーパーマーケッ トという概念がインドネシアにやって来る前から使われていた) 「ピサンゴレン〜〜!」とか「タペウリッ!」などという売り声は、何を売っているのか が明瞭に分かった。しかし「kin..!」「brot..!」「puy..!」「kit..!」などと叫ばれて も、知らないひとには分からない。現代のパン売りは「roti..rotiroti..!」と叫んでい るが、昔のパン売りは「brot..brot..!」と叫んだ。オランダ語のbrootと言っていたのだ。 しかし物売の方も心得た人間がいるもので、「brot..bot..roti..!」という声も聞かれた。 タぺシンコン売りは「tape..!」と叫んでいるうちに「tapuy..!」と遊び始めて、そのう ちに遊び心は発展し「put..puy..!」と抑揚が付けられ、しまいに「puy..!」だけが残っ て一般化した。(訳注:1970年代でも「プイ!」という頓狂な叫び声を上げて町内を 回る物売がいた) 由来が皆目分からないのが「kit..!」の売り声だ。クニガンやパサルミングなど街外れの エリアからやってくる、種々雑多な菓子類の販売者が立てる売り声が「キッ!」なのであ る。荷箱の中にはbugis, talam, pacar cina, sengkulun, ban karet, lupis, pepe, putu mayang, bika (ambon), abuk, cerorot ・・とより取り見取り、歩くトセルバと言って過 言ではあるまい。しかし街中を歩いて回る巡回物売の姿は1960年代以来、徐々に徐々 にジャカルタの街から消えて行った。